ラ・カテドラルでの対話(上) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2018年6月16日発売)
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感想 : 12
5

いつも沖縄に出張にいくときにラテンアメリカの文庫を携えるようにしているが、最初、上巻だけ持って行った。
面喰らいながら書いたメモが、以下。


複数の会話が入り乱れる。時間の混乱。しかし似たトピックを話していたり、連想的に響きあったりすることもある。
地の文においては、彼がいうのだった、と人称の妙。
地の文は会話文で中断されなければ原則的に改行なし。
おまえは何々だったなサンティアーゴ。と、作者の声なのか、サンティアーゴの自問自答なのか、も地の文に紛れ込む。
地の文においても、たとえば208ページ、もちろん構わないのよ、いいことだと思っているのだった。と、直接話法?と間接話法?が入り混じる。

自分(そして国)はダメになってしまった、遡ればいつからだったか?あのときだったのだろうか、と話しながら度々考えている。
全体小説を書きたいと思った時、こういう文体と形式を選ばざるを得なかった。ボヴァリー夫人なんかは単純で純朴だ。
ところで、アンブローシオが坊ちゃんに話しかけるだけでなく、旦那さんにも話しかけているが、誰?=たぶんフェルミン>108p。

※もっと分析を頑張るならば、地の文でこういう話、そこに混入するのは誰と誰の会話でどういう内容か、まで。
また、各人物ごとにエクセルなどで時系列のマトリックスを作るのもおもしろいかも。


上巻を読み終えてから下巻の訳者解説を読んで、面喰うのも無理はないと納得した次第。
読み終え、各章ごとのあらすじをまとめ、登場人物の表(B5にたっぷり!)を作り、もっと分析したいと思いつつも果たせないので、いったんここで感想を書くことにする。

ざっくり言えば、過去を悔いている(自分は、そして国は、いつから駄目になってしまったのだろう、という問いへの執着ぶりが独特)青年が、かつての実家の使用人と再会し、ラ・カテドラルという酒場で飲みながら対話する、という大枠。
四方山話噂話過去話などなどが入り乱れ入り混じり読者は渦に巻き込まれていくが、中心にあるのは「(息子にとっての)父を巡る謎」。

視点人物であるサンティアーゴの父は、政治にどっぷりの商人だが、ある種のセクシャリティを隠しており、ある殺人事件を機に息子が探り合ってしまう。(「間抜けのふりをするのはやめてくれ」「二人で率直に、ムーサについて、父さんについて、話をしようじゃないか。彼に命令されたのか?父さんだったのか?」という序盤の台詞が、後半に効いてくる)
次の視点人物であるアンブローシオの父は、ムショ帰り。青春期の息子がいる家に帰り、息子の性格を曲げてしまう。
さらに政治的重要人物であるカヨも、禿鷲と綽名される金貸しの父を持つがゆえ、独特なセクシャリティを持つ。

というように、父ー息子ー政治や権力ー性、というテーマがあり、そこにアンブローシオの妻となる使用人のアマーリアや、差別意識の強いサンティアーゴの母や、カヨが囲う愛人のオルテンシア(=ムーサ)やが緊密に絡んでくる。もちろん性がかかわれば男女両面ひっつくのは当然なのだが。
政治劇と個人劇がつながるのが性、というのは、下衆だが、吉本隆明や埴谷雄高を連想したりもした。

ネットで感想を漁っていると、火サスをタランティーノやゴッドファーザーPART2っぽく書きました、という例えがあって、膝を打つ。
「緑の家」と較べるとスケールの小ささは否めないが、むしろ日本の学生運動を連想したり、家庭の権力性を考えたり、と、自身に引き付けて考えるきっかけになるのは、こちらかなと思ったりもした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学 海外 /南米
感想投稿日 : 2018年12月5日
読了日 : 2018年12月5日
本棚登録日 : 2018年10月14日

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