過去20年のメモに残っていないので、中学生の頃にテレビで見たきりなんだろう。
「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」については腰を落ち着けて考えてみたいが、本作のノリというかオドケというか祝祭感というかには、正直ついていけないので、以下箇条書き。
・落語、講談のような語り口は、むしろ押井守っぽい。押井守の衒学趣味を一枚引っぺがせば、「御先祖様万々歳!」や「うる星やつら」のような意味のない饒舌がびっしりしているんだろう。
・表現としては相当アヴァンギャルド。新しいアニメ表現。
・図書館の棚の連続を移す水平移動の場面で、ジブリ初CGが導入されているらしい。ここ鑑賞中に、おっ、と気づいたところ。
・狸の変身は4段階。ハウルと同じく、いやそれ以上に、シームレスなメタモルフォーゼの多さ。→リテラシーの高さが求められる。小学生にはちときついんじゃないかな。
・音楽の豊富さ。勲の音楽を追うと、また面白そう。というか深そう。
・「深いニヒリズム」。駿を一言で表せばそうだが、勲もそうかもしれない。作家性の違い、方向性の違い、納期や予算や経営感覚の違い、を越えてつながっているのは、これかもしれない。
・狸が「何でも芸能にしてしまう」ことの、愛らしさというか、いじましさというか、ばかばかしさというか。だって結果的に数人殺している、しかもゲラゲラ笑っているのだから、全面戦争をすればよかったのだ。そこを「妖怪大作戦」という、ぽんぽこな合戦=パレードを仕掛けてしまう。そりゃリアリストな人間は、子供ですら、うわーおもしろいCGだなーと笑ってSNSにアップするにとどまるよ! と、ちょっと時代をずらしてしまったが。
・結果、文太が言うが「俺はたった三年で浦島太郎だ。人間を化かしているはずなのに、化かされているのは狸じゃないか。人間こそが風上に置けない古狸だ」と価値の転倒を、割とわかりやすく台詞にする。
・この辺、現実を照らし出すという勲の執念。
・ラストは「もののけ姫」(の先取り)っぽいが、あそこまでファンタジーではない。なんでも勲は駿がファンタジックに自然を描くことに危機感を抱いていたのだとか(子供はトトロの自然に魅入られるが、アニメ表現が実際の目の前の自然から子供を奪っている)。
・巻き戻せない感覚というのは、むしろ「もののけ姫」に影響を与えたのではないか。ラストのゴルフ場や、祝祭感覚も、表面的にはハッピーエンドっぽいが、裏には深いニヒリズムがあるのだ。
・脱線するようだが、大友克洋の団地感覚や都市生活も連想した。
- 感想投稿日 : 2020年8月19日
- 読了日 : 2020年8月19日
- 本棚登録日 : 2020年8月19日
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