ほんの僅か前まで、認知症は「痴呆」という言葉で呼ばれていた(変更について最初に指摘がなされたのが2004年、それが周知するまで更に数年を要していることから、「認知症」という言葉が認知されたのは本当にごく最近であることがわかる)
本書で紹介される「スピリチュアル回想法」は、オーストラリアの看護師であり進学しでもあるエリザベス・マッキンレーが、46歳にして若年性認知症と診断されたクリスティーン・ブライデンと出逢い、彼女に寄り添いながら編み出したものである。
エリート官僚だったクリスティーンは、認知症により今後彼女の身に起こるであろうことを予測し、その怖れの中で「私は誰になるのか」という問いを抱く。そしてその問いは、自らのスピリチュアリティ、存在の根源を問い見つめ続けて生きることを通じて「私は私になっていく」という発見へと昇華する。
これまで認知症については「本人は何もわからないからよいが、家族が大変」などという言説で理解されることが多かった。
70年代、在宅での介護に変わるものとして施設が誕生し、80年頃からは職員を悩ます問題行動に対処すべく道具やハウツーが盛んに開発される。まさに認知症患者は「管理の対象」であった。2000年の公的介護保険のスタートに伴い、集団管理・効率化に主眼を置くケア職員が「増産」された。一方で同じ頃から、これまでのケアの方法を疑問視し個別ケアへの道すじとも言えるものが模索され始めた。パーソンセンタードケア(Person-centered-care)の考えが広がり、当事者の尊厳を保つケアの方法、生きる上での中核をなすスピリチュアル・ケアへの関心も高まりつつある。
例えどのような病や症状を身にまとおうとも、人として生きる尊厳を、肉体の終わりまで保ち続けることは可能であろうか。
この問いは、益々切実に私たち全員の共有するものとなるだろう。
「その人の文脈で、一番深いレベルで考える」
この書物に紹介される視点からは学ぶことが大きい。「スピリチュアル回想法」。機会があれば是非、この手法を習得し、スピリチュアルケアの経験を積み重ねてゆきたいと思う。
*** 以下、引用 ***
「認知症の人は関係性において理解されなくてはならない。それは、関係性しか彼らに残されていないからではなく、関係性こそが私たちすべてにとって生きていることを特徴づけるものだからである」(ビューズ、ロウ、サバトによる認知症についての見解)
- 感想投稿日 : 2014年1月5日
- 読了日 : 2014年1月5日
- 本棚登録日 : 2013年12月22日
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