近未来。「書物」が禁じられた社会。
「書物」を持っている人の家には、fireman(昇火士、とこの本では翻訳していました)が派遣されます。
そして、家財ごと紙の本は燃やされてしまいます。
なぜ書物が禁じられるのか?
その方が、支配するほうは、楽だからですね。
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その社会では、みんなが日々楽しんでいるのは、テレビとラジオです。
そして、事実上政府によってコントロールされている、フラッシュ的なニュースです。
テレビのいちばんは、バラエティであり、ドラマであり、スポーツであり、です。
深く政府を批判するようなテレビは、政府によって、事実上、禁じられています。
そう、政府はスポーツを推奨しています。
スポーツは盛り上がって、チーム競技で、団体行動。スポーツを楽しんで、スポーツを鑑賞して盛り上がるのは、政府にとって都合が良いのです。
全てメディアは、刺激があって、流れるように早く、概要だけを伝えて、その代り洪水のように大量に注がれます。
じっくり腰を据えて考える、というのは、流行りません。
...上に書いたのは、ブラッドベリの小説「華氏451度」の中の、社会の話です。
なんですけど...。
自分で書いてて、
「あ、なーんだ、今の日本と同じだな」
と、思ってしまいました。
テレビは、ほぼ完全に、政府の広報媒体になりましたね。
新聞は、僕たち消費者が見捨てましたね。
もっと刹那的で、もっとシロウト的で、もっと速報性のある、ネットに潰されましたね。
その結果として、顔が見えるジャーナリストが腰を据えた調査報道を行う力が、新聞社から衰退しました。
これは、結局は僕たち消費者が選択してしまったことですね。
ネットと多チャンネル化で、メディアからの情報提供量は爆発的に増えました。
...なんだけど、それでもって、「落ち着いて考える」ことは増えたのでしょうか。
選挙の投票率は上がりましたでしょうか。
さて、それで、結果として、誰がトクをして、誰が笑っているか、ですね。
安倍政権は、間もなく5年目に入ろうとしていますね。
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レイ・ブラッドベリさん「華氏451度」。1953年発表。
ほどほどの薄さの文庫本。
新訳が出ていたので、読んでみました。
1953年というと、冷戦ですね。
そしてアメリカで、テレビがようやく出てきたころ。まだまだ大衆娯楽の王様はラジオであり、映画だったと思います。
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Fireman(昇火士)である主人公は、不思議な少女クラリスと触れ合ったりして、徐々に、「書物が悪である」という考え方に疑問を抱きます。
そんな気持ちを、テレビラジオ中毒の奥さんは、さっぱりわかってくれません。
徐々に主人公は、書物を大事にしてしまう、という地下運動に足を踏み入れます。
Fireman部隊の隊長、というのがいます。
この隊長が、古今の書物に詳しいのです。
そして、多様な引用をしながら、「書物何て悪だ、考えてどうする」みたいな、
悪魔的な思想を弁じます。
この、「隊長の主張」の部分は、物凄く邪悪な魅力に満ちています。
●"1つの問題に2つの側面があるなんてことは、口が裂けても言うな。ひとつだけ教えておけばいい。もっといいのは、何も教えないことだ"
ワイドショー、テレビ、ネットの大きな情報っていうのは、そういうことなのかもですね。
●"記憶力コンテストでもあてがっておけ。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワのトウモロコシの収穫量だのを、どれだけ憶えているか、競わせておけばいんだ"
僕たちが、「幸せになるために」「立派な大人になるために」必要である、受験勉強っていうのは...。
●"時間は足りない、仕事は重要だ、帰りの道ではいたるところに快楽が待っている。ボタンを押したり、スイッチを入れたり、そのほかにいったい何を学ぶ必要がある?"
そうですね。
書物を読むより、情報をネットで流し見したり、ゲームをしているのですね。
●"民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み、面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる"
頭をからっぽにして癒されるのに、確かにスポーツ観戦は素敵ですけれど。
うーん。
オリンピックとか、権力そのものが、税金を湯水のように使って、盛り上げますよねえ。
●"物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがるのは、厄介なことだ。なぜ、どうして、と疑問を持っていると、しまいにはひどく不幸なことになる。"
いつの間にか、新聞と言う機能も衰退し。
「なにが起こったか」というニュースは、かつての100倍も1000倍も溢れています。
でも、「なぜ起こったか?」という考察は、あきれるほど浅いものが多くないですか?...
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主人公はどんどん、気持ちが追い込まれて行きます。
そして、隊長にすべて、ばれます。
犯罪者になってしまい、隊長を殺害、逃亡...逃げ切れるのか...
と、言う、お話です。
文体はいかにもアメリカ小説らしい、ブツブツとした、でも味わい深い、小説らしい魅力に満ちた簡潔さ。
こういう流れの中に、村上春樹さんとか、エルロイさんとかが出現するのは、良く判りますね。
読み始めだけ、ちょっと、オフビートな感じにとまどいますが、
すぐになんとなく「ノリ」が判って、愉しめるようになりました。
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悪夢のような未来、を描く物語を「ディストピアもの」と言うらしいです。
ディストピアもの、の中では、最後が希望にあふれていて、そういう意味では辛くなく読み終えることができました。
(「1984」はつらかった...)
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ブラッドベリさんは、1950年代の、アメリカでの「赤狩り旋風」を意識して書いたそうです。
いともかんたんに、みんなが、「そうだよね、共産主義者は悪だよね」と洗脳されてしまった。考えもせずに。共産主義とは何か?など考えもせずに。
そうやって書かれたものが、まったく状況の違う60年後の国でも、すごくピンピンあてはまる。
怖いですねえ。
書物と言うのは、記録であり、すなわち歴史ですね。
そして、権力は必ず歴史物語を風化させたがります。
少なくとも、多様な歴史物語を好みません。
自分たちの都合の良い歴史物語以外を、好みません。
歴史というのは、「ぼくたちは、こんなに愚かなことを過去にしてきた」という大切な記録なんですけどね。
判りやすく言えば、戦争が起こると何が起こるか。
権力者以外は、他の人の都合で拘束され、道具にされ、殺すように命じられ、殺されるリスクに身をさらす。
こんなに簡単なことが分かるのは、過去の記録のおかげです。
それが無いと、分からないなります。
どうしてかというと、
戦争を起こす人は、決して、そうは言わないからですね。
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書物を守る、地下組織の人が言います。
”われわれは、自分たちが過去1000年のあいだにどんな愚行を重ねて来たか知っているのだから。
それを常に心にとめておけば、いつか新しい愚行をとめることができるはずだ"
- 感想投稿日 : 2016年7月28日
- 読了日 : 2016年7月28日
- 本棚登録日 : 2016年7月28日
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