<u><b>“ケータイ小説”に“ヤンキー”という補助線を</b></u>
<span style="color:#cc9966;">ケータイ小説とは、ファスト風土化した郊外が舞台で、郊外に住む少女が主人公の、郊外に住む少女たちを主な購買層とする、郊外型ショッピングモール内書店で売られる「新しい文学」である。浜崎あゆみ、NANA、郊外型ショッピングモール、携帯メール…ケータイ小説の誕生の背景と理由にせまると、見えてきたものは。 </span>
私がケータイ小説に感じる「ダサい」という感情の起因がどこかわかった。ヤンキーだ!ヤンキー!私が10代の頃は「ヤンキー」なんて死語だった。「スケバン」が死語のように。でも今の子(私の周りだけか?)「ヤンキー」は意外にそんな風には受け取られていない。むしろ、どこかカッコイイものという雰囲気だ。「だから、あいつらはケータイ小説好きなんだな。なるほど、ふむふむ」と具体的な生徒の顔を思い浮かべながら思いながら読みました。
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本書は微妙に論点ずらしながら論じているなぁとは思いながらも、「浜崎あゆみ」、「NANA」、「郊外型ショッピングモール」、「携帯メール依存」、「デートDV」と数々のケータイ小説世代を語る言葉を見つけ出し、それをヤンキー文化に繋げるところは納得させられた。批判するにしても楽しい刺激的な面白い本。浜崎とCOCCOと椎名林檎の曲を「トラウマ」曲として括って話すのは、立派なJーPOP論としても通用するなぁ。
確かに、ケータイ小説のあらすじ見ていると、トラウマ回復のモチーフが多いこと多いこと。一つ考え直したのは、ケータイ小説って意外と健全だよね。ヒロインは型どおり、どんなに辛いことがあっても、そこから立ち上がって未来へ向かっていく。えらい、えらいよ。だからと言って好きになれそうじゃないし、誰かに勧めたいとも思わないけど。
でも、筆者が言うように確かにケータイ小説だからと言って、価値のない物と陥れるのはよくないな。偏見、ヨクナイ。
とここまで語りながら、ちゃんとケータイ小説読んだことない私。ケータイ小説世代が縦の文字読む気しないって言っているのと同じく横文字って読む気しないんだよな〜
今度は石原千秋のケータイ小説論読みたいな。(評論ばっかり読んで、一向にそのテクスト自体には心は向かない)
- 感想投稿日 : 2018年10月8日
- 読了日 : 2008年11月21日
- 本棚登録日 : 2018年10月8日
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