現代版アナタハンの女王+α
極限状態の人間心理を中心に描く作品。現実世界ではアナタハンという関西弁で考えると少しおかしみのある名称の無人島の中で、日本人のみ男女比32:1、この作品では外国人も含み35:1で取り残される話。現実の事件は7年間(1945 - 1951)続き、その間に死因不明も含め男性が12人死んでおり、事件として本や映画になっている。
時を現代、主人公を中年女性とし、外国人を混ぜたところなどには、当然、作者の意図がある。男性の弱体化が印象深い。主人公はたった一人の女性ということで当然性愛の対象になるのだが、早々に半数以上から相手にされなくなる。彼女の魅力の問題だけではなく、生存競争にすら斜に構える男性陣が描かれる。最低限、生きていくことができれば、趣味に走ったりする。しかし、一方的に男性を貶めているわけではなく、史実と違い、全ての権威がこの女性に集まっているところから物語は始まり、分権と集権が繰り返されるが、たった一人の女性はその時々の思いつきによる適当な行動から凋落していく。その様は、自業自得として描かれており、意識と多少の能力があっても、自立もしなければ、責任も取らない現代女性の批判のように見える。多分、主人公に好意は持つ人は少なさと反比例して、こういう人っているだろうという共感は多いのでないか。史実には薄い外国人の存在と対比して考えると、日本人総体のひ弱さの批判は一つのテーマだと思われる。
作品の中での、生きる縁(よすが)は、信仰、狂気、仮想敵の設定による内部統制が印象的だが、同性愛も含め恋愛と国際交流があり、結果としての出産、そして子孫の存在が示されて物語が終焉していることも興味深い。日本には移民政策と出産率の向上が必須ということを示しているのか。物語の後半に残るべくして残っているものを振り返ると、音楽、踊り、信仰、家庭、歴史、教育、宗教と政治の緊張関係による統治、もしかしたら鎖国政策や適度な排外主義が必要ということなのだろうか。是非はともかく日本にとって必要なもの良いものを意図的に残したなら、なかなか興味深い。現実の事件は、後に女優として映画に起用される魅力を有する20代の女性だったが、この作品が40代のほどほどの魅力の女性だったことが、読者の興味を過度に性愛的な部分に留めず、暗喩に気付かせるためだったとすれば、作者は大変上手くそれに成功している
気持ちの良い話ではないので読み返さないが、ファンタジーめいた結末に微妙な救いがあることは佳かった。映画では男女比が22:1になってしまうのだが、そうすると主人公の惨めさが減じるなぁ、と映画化の情報を見て思った。主人公が木村多江(痩せてるじゃんビミョーだけど)、鶴見慎吾(途中で死ぬ役)、窪塚洋介(とにかく際に居続ける役)が出演するようだ。
+αを意識して読むのが面白いと思う。
2010/06/21、読了。文京図書館から借用。
- 感想投稿日 : 2010年6月23日
- 読了日 : 2010年6月22日
- 本棚登録日 : 2010年6月22日
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