誰もがその言葉を知っていて、誰かに求め続けている「愛」。その愛をこれほどまでに理論的に説明し、技術として語るという内容に衝撃を受けた。今まで疑問に思っていた点たちを線で結んで形を与えてくれたような一冊。読まなかったら愛について誤解したままだったかもしれない。自己愛、異性愛、親子愛、兄弟愛、神への愛と、その違いが丁寧に説明されていて本当に勉強になった。
1956年の本だとは思えないみずみずしい内容。愛というと人間の内面というイメージが強いけど、社会構造が大きく関わっているという話も興味深かった。社会構造と愛についての関係性は今も変わらず溝を深めているように感じるね。
あとは、ぼくの印象に残った言葉を引用しておきたい。これからも人生において幾度となく読み返していきたい本になった。
「まず第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。」
「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに『落ちる』ものではなく、『みずから踏みこむ』ものである。」
「いちばん広く浸透している誤解は、与えるとは、何かを『あきらめる』こと、剥ぎ取られること、犠牲にすること、という思いこみである。」
「愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊重、知である。」
「配慮と気づかいには、愛のもう一つの側面も含まれている。責任である。今日では責任というと、たいていは義務、つまり外側から押しつけられるものと見なされている。しかしほんとうの意味での責任は、完全に自発的な行為である。責任とは、他の人間が、表に出すにせよ出さないにせよ、何かを求めてきたときの、私の対応である。『責任がある』ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。」
「未成熟の愛は『あなたが必要だから、あなたを愛する』と言い、成熟した愛は『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う。」
「ナルシシズムの反対の極にあるのが客観性である。これは、人間や事物をありのままに見て、その客観的なイメージを、自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと区別する能力である。」
「そして、愛の技術を身につけたければ、あらゆる場面で客観的であるよう心がけなければならない。また、どういうときに自分が客観的でないかについて敏感でなければならない。」
- 感想投稿日 : 2020年5月14日
- 読了日 : 2020年5月14日
- 本棚登録日 : 2020年5月14日
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