百年の手紙――日本人が遺したことば (岩波新書)

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  • 岩波書店 (2013年1月23日発売)
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岩波「図書」6月号に、梯さんは若松英輔との対談の中でこう言っている。「手紙でも日記でも原稿でも、手書きの資料や遺品には時間が蓄積している。たくさんの人の人生の時間です」。ましてや、手紙は相手に届けられるまでが大仕事であり、しかもそれが他の人が目にすることができるまで多くの想いが蓄積されるのである。

この新書は、2011年の7-8月、そして翌年の同月に地方新聞に連載された。作家、政治家、無名の兵士、女性の20世紀の百年間の手紙が百通選ばれている。

2011年、書かれた年のこともあり、原発事故を告発しているようだとも言われた田中正造の天皇への直訴状から始まり、大逆事件で死刑執行を覚悟している菅野すがの幸徳秋水の冤罪を訴える手紙、逮捕虐殺される前日の伊藤野枝が関東大震災で夫の妹の子供が行方不明になっているのを心配した手紙。これらは著者が現代との相似性を訴えているのは明白だが、抑えた筆致で簡潔に書れていて、読者の胸を打つ。また、宮沢賢治は昭和三陸地震の後、近況を心配してきた友人宛に返事をしたためる。つい最近見つかった書簡だ。「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です。私どもの方、野原は何事もありません。何かみんなで折角、春を待っている次第です」岩手県内陸部の花巻市は、2011年もそんな状況だった。

7-8月、書かれた月のこともあり、戦場から、又は戦場へと書かれた手紙も多く採用された。映画監督山中貞雄の遺書の一節「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず」『人情ー』は戦前が産んだ大傑作だと私は思っている。戦争は残酷だ。『硫黄島 栗林中将の最期』は梯の代表作だが、それとは別に市丸利之助少将が部下の腹巻きに持たせ死んだ時にルーズベルト大統領に届くようにした書簡がある。冷静に戦況と米国の戦術を批判した、同等の立場からの手紙である。それが米国では直ぐに報道されて、今は彼の国の博物館にある。岸壁の母のモデルになった母親に宛て息子の手紙がある。「我慢できずに川に向かって、母さん、母さん、母さんと三回も大きな声で呼びました」。ところが2人は養子縁組みの関係だったとは、初めて知った。昭和天皇から11歳の皇太子への昭和20年9月の手紙がある。「敗因について一言いはしてくれ」と書き、かなり冷静な分析をした後、「(終結を決断したのは)戦争をつづければ、三種の神器をまもることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである」。著者は「歴史的な書簡」と評価している。

もちろん、ラブレターも友愛の手紙も数多く紹介される。手紙がおおやけになるまで、多くの時間と人の手が費やされている。それを私たちに見事に手渡してくれた著者の名は梯(かけはし)久美子という。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: は行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2019年6月25日
読了日 : 2019年6月25日
本棚登録日 : 2019年6月25日

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