断片的なものの社会学

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  • 朝日出版社 (2015年5月30日発売)
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以前、岸先生と雨宮まみさんの、『愛と欲望の雑談』を読んで以来、ずっと読みたかった本。

『私たち社会学者は、仕事として他人の語りを分析しなければならない。しかし、それは暴力と無縁ではいられない』

私は社会学というのを、よく分かっていなかったし、読んだ後も、実はよく分からない。
ただ、残ったのは、私の知らなかった世界を見せてくれたことと、世界は不透明なものだということ。
そして、不透明であることは、悪いことばかりではないということ。

上記の岸先生の文章の中の、『暴力と無縁ではいられない』とは、例えば、『良いものと悪いものを分ける規範』において、「好きな異性と結ばれる事が幸せだと思っている」ことは、単身者や同性愛者にとって、呪いとなるということ。

これをもう少し、簡潔に書きますと、

「マイノリティ(少数派)」⇔「マジョリティ(多数派)」

「在日外国人」⇔「日本人」

「在日外国人という経験」⇔「そもそも民族というものについて、何も経験せず、それについて考えることもない」

いわゆる、マジョリティを「普通の人」とした場合、
「それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びと」が、普通の人びとということに、なるわけです。

ただ、これが良いか悪いかということではなく、「そういうことになるということ」であり、これが、社会学のひとつの形なのかもしれないと思うと、確かに暴力と無縁ではいられないというのも、少しだけ分かる気がしました。


更に、個に迫った表現をすると、

「国家をはじめとした、さまざまな防壁によって守られ、『個人』として生きることが可能になっている私たちの心は、壁の外の他者に対するいわれのない恐怖によって支配されている」

これに対する、岸先生の提言として

『異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定することが、どうしても必要な状況なのである』

と同時に

『「他者であること」に対して、そこを土足で荒らすことなく、一歩手前でふみとどまり、立ちすくむ感受性も、どうしても必要なのだ』

ということで、これについては、
『どちらが大切ということではない。私たちには、どちらも欠けている』に、なるほどと。

しかし、これらはよくよく見ると、とてつもないジレンマにもなり得ることを教えてくれて、私とは違う、その人はその人なんだということを実感し、更にもっと知りたいと思うが、時には踏み込んではいけないと言われる。

ジレンマといえば、上記の、好きな異性と結ばれることにおいても、「おめでとう」、「よかったね」と言われることは、当たり前に幸せなことなのだけれど、その反面、他の人々を傷つけてしまうこともある。

しかし、そんなことを言っていたら、何もできないし、どこかで聞いたことのある、「何かを得るというのは、何かを失うということ」であったり、「人は生きているだけで、無意識に誰かを傷つけている」ということなのかもしれないし・・・しかし、岸先生はそれについて、「だから私は、ほんとうにどうしていいかわからない」と、仰っており、こうしたことを言う人に、私は信頼を寄せてしまう。当然、一度もお会いしたことは、ないのだけれど。


『私たちは神ではない。私たちが手にしていると思っている正しさとは、あくまでも、自分の立場からみた正しさである。これが他者にも通用すると思うのは間違っている』

本書に収録されている語りのなかに、夫婦喧嘩をすると、いつも家の中の物を破壊する妻のエピソードがあり、ある時、夫の二千冊の蔵書をすべて庭に積み上げ、灯油をかけて、燃やした後、彼女は息子の手をとって自分の車に乗り込み、そのまま行き先も言わずに出ていったそうで、その時、夫はほとんど勘で居場所を推測し、重度の閉所恐怖症をワンカップの焼酎とエロ本で堪えることにして、新幹線に乗り込み、福岡の駅でばったり会ったときに、ふたりで号泣して仲直りしたそうです。

そうですというか、ものすごい壮絶なエピソードだと思ったのですが、要するに、どんなにひどい状況にあると思うような人でも、こちらの手にしている正しさを振りかざすのは、果たして正しいことなのか、ということです。

『私たちは絶対に神になれないのだとしたら、神のような暴力をふるうこともまたできないのではないだろうか。』

『もちろん私たちは、神ではない人間として、ひどい暴力をふるうことができる』

この感想を書いている内に、これらに対して、私的な感情を交えることに意味は無いような気もしてきまして、なぜかというと、論理的に辿ってきた上での結論であることを痛感したからであり、上記についても、考えさせられたというよりは、その結果があるという、ただそれだけのこと。

ただ、それだけのことなのに、それが、とても心に残り、とても痛い。


また、岸先生が本当に好きなものは、「分析できないもの」、「ただそこにあるもの」、「日晒しになって忘れ去られているもの」で、それらの『かけがえのなさと無意味さ』は、解釈や分析をすり抜けてしまうそうで、岸先生の自己分析のひとつに、

『何も特別な価値のない自分というものと、ずっと付き合って生きていかなければならない』

という表現があり、そこには、かけがえのない自分というよりは、くだらない自分をこれまでの人生で、散々思い知らされたという実感を持たれているのですが、だからこそ、『そのかけがえのなさと無意味さ』に、いつまでも震えるほどに感動したのだろうなと、岸先生の少年時代の、小石や犬の死に際を見てやれなかったエピソードには、感じ入るものがありました。

でも、岸先生、くだらないものには価値がないと、誰が決められたのですか?
少なくとも、神で無いことは確かだと思いますよ(結局、感情的になってしまった)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会学
感想投稿日 : 2022年11月6日
読了日 : 2022年11月6日
本棚登録日 : 2022年11月6日

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