東京今昔散歩: 彩色絵はがき・古地図から眺める (中経の文庫 は 5-1)

著者 :
  • KADOKAWA(中経出版) (2008年9月26日発売)
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感想 : 16
5

彩色絵ハガキと古地図から、今の東京と、当時を比較している本。
あまり気にしたことがありませんでしたが、考えてみればカラーの技術がまだない時代に、色つきの絵ハガキが存在したというのは不思議です。

彩色絵ハガキは、幕末から明治に普及した写真の台頭で職を失った錦絵の絵師たちが内職で彩色したものだと知りました。
職にあぶれたプロの手によるものだったとは。
錦絵から写真への移行とは、時代が一足飛びに進んだ印象を受けますが、それだけ鎖国後の当時の近代化は急速だったということでしょう。

絵ハガキも古地図も、紙でできていながら、戦争で失われもせずに保管されていたことが貴重です。
海外に持ちだした外国人の愛好家のコレクションも多いことでしょう。
海外で高評価を受け、ジャポニスムまで生み出した浮世絵は、日本から輸出された陶器の包み紙に描かれていたものだったそう。
どこから美術革命が起こるか分からないものです。ゴッホはそれを模写し、モネは自宅の庭に太鼓橋をかけています。

皇居にある楠正成の銅像は、動きがある勇ましい像ですが、楠公は高村光雲、馬は後藤貞行作と、2名によるものだと知りました。
ちなみに、上野の西郷像も同じペアで作られたとのことです。
後藤貞行氏は、馬術や馬の解剖学に詳しく、銅像のように馬は尻尾を上げないという非難が起きたため、自ら馬を借り、急に止めると馬が尻尾を上げること実証したというのが、粋です。

江戸城天守閣は初期50年間だけ建っていたものの、火事で焼失してそれきりとのこと。
城がないことを常々残念に思っていましたが、それは城下の復興を優先して予算を回したためだと知りました。
詮無いことですね。

亀戸周辺はかつて海だったため、向島、曳舟など周辺には島や海にちなんだ名前の地名が多いのだそうです。

桜餅は、上方の和菓子ではなく、長命寺で墨堤の桜の葉の処理に困って塩漬けにした葉を使って考案されたものだとか。
江戸時代版リサイクルだと紹介されていました。

浅草の雷門は、戦争時の火事で95年間門が無かったことも、初めて知りました。
つまり、雷門を見ずして一生を終えた人もいたわけです。
廃仏毀釈の風潮で政府も再建に非協力的だったところを、松下電器の寄進で再建したため、大提灯にロゴが入っているそうです。
単に宣伝を提灯につけているのかと思っていましたが、もっと大きな繋がりがあったことを知りました。

隅田川の勝鬨橋の名前が気になっていましたが、日露戦争の旅順陥落を記念した名前だとか。
ロシアへの勝どきの声だったというわけですか。

また、松尾芭蕉は、単なる俳人ではなく、神田上水改修工事の従事屋(水番屋)だったことも知りました。
神保町がなぜ古本街なのかというと、神保町に多かった武家屋敷が明治時代に学校になり、本の需要が増えたことからだそうで、長い必然の歴史を感じます。

古い写真を紹介するだけではなく、手彩色絵葉書と同じ場所からの現代の写真を撮影し、比較しているのが楽しかったです。
漠然とした写真から、手掛かりを見つけて撮影場所を割り出す作業は、関係者にとっては非常に楽しかったでしょう。
古地図と現地図の比較とは違う、立体的な情緒とリアリティがありました。

マニア心を刺激される、とてもおもしろい本です。
著者がマニアなのでしょう。
場所の特定のために建築学的透視図法を用いたりしているところに、趣味の範疇を越えた本気を感じました。
これからは、骨董市などで彩色絵ハガキを見かけたら、じっくりと観賞してみようと思います。
ほかに、大阪版と横浜版があるようですが、歴史の考察法としても価値あるアプローチですので、もっとほかの場所でも、広くこのシリーズが出ることを、希望します。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 地域研究・旅
感想投稿日 : 2012年4月9日
読了日 : 2012年4月9日
本棚登録日 : 2012年4月9日

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