父が子に語る日本史

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  • トランスビュー (2008年10月2日発売)
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感想 : 10

"「そうだ 京都、行こう。」の京都とは"の章が気になったので、カルチャー的な知識が得られるかという軽い気持ちで読んでみました。
父親が中学生の息子に語りかけるという形式で、柔らかな口調になっていますが、そこに書かれていることは全体的に結構過激な印象を受けました。
歴史教育の土台に横たわる教科書問題を意識しながら、日本史は日本だけでは語れないと、歪みや偏りを指摘しています。
現在の教育法に異議を唱える、はっきりとした主張を抱えた内容でした。

それを別にしても、雑学的にいろいろとためになる情報が得られました。
厩戸王は聖徳太子とは別人だったとか。
厩戸王とはすなわち厩戸皇子の成人した呼び名なのかは言及されていませんでしたが。

武田信玄の軍師、山本勘助は架空の人物と書かれていて、ショックを受けました。
実際にいたとしても、あそこまで軍師として活躍はしていないそうです。
当時の実際の軍師は禅宗寺院の僧侶だったそうです。

「太平記」の楠正成も、相当誇張されているとのことです。
著者は、歴史研究家の著書よりも、司馬遼太郎の歴史小説の方が圧倒的に読まれていることに危惧感を抱いており、確かに読む側として、小説には多分にフィクションが含まれていることを了解していないと、自国の歴史を誤って認識してしまう危険性はあると思いました。

また、よく時代劇に登場する、戦国武将の「この戦国乱世を終わらせねば」というようなセリフは、全くもってありえないそうです。
彼らは、その時が異常な事態とは誰一人思っていないからとのこと。
確かにそうですね。そのセリフは、現代人の意見にほかなりません。

歴史研究家からすると、日本人が本や映画などから得た日本史の知識が、さまざまな間違いを含んでいることが、とても気になるだろうなと思いました。
現代では、歴史ものが娯楽としてまかり通っています。
それは受け手たちが歴史にドラマを求めているからですが、虚構と史実の境界線ははっきり線引きをしておかないと、大多数の意見が通って誤解の日本史が生まれてしまいかねないため、時代劇などはきっぱり史実と別物と割り切って楽しまなくてはと思いました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2010年10月26日
読了日 : 2010年10月26日
本棚登録日 : 2010年10月26日

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