ハードボイルドの古典であり永遠不滅の傑作である。レイモンド・チャンドラーが創造した探偵フィリップ・マーロウは、幾多の派生キャラの原型として、数多の作家達に大きな影響を与え続けている。「ロング・グッバイ」に続いてマーロウを読了した。
「リリシズム」なる言葉を使ってチャンドラーの作風が評されることが多い、ハヤカワ文庫の裏にもその言葉がある。直訳すれば「叙情的」となるそうだ。主人公フィリップ・マーロウの生き様、そして事件の幕切れに共通する、ある種のオーラ?色彩?総じてリリシズムという言葉で括っているように思う。なるほど常にやるせなく切ない空気に包まれている世界観が、そこにある。
ただし本当の意味でチャンドラーとマーロウのリリシズムを理解しようとするならば、原書で読まねばならないのではないか?海外作品を読む時に常によぎる感傷が、特に大きく感じられるのがマーロウものなのだ。
自分のように日本語しか理解し得ない人々のために、翻訳者なる人物が存在していて彼等の仕事ぶりは、時に作者以上の影響力を持ち、優れた作品が世に出て広く知らしめらるにあたり必然たるものがある。今作の翻訳者は清水俊二氏である。
清水氏は他のチャンドラー作品のほとんどを手がけており、元々は映画の字幕を翻訳されていた人物である。セリフにあわせて字幕を目で追う作業は、耳で聞く作業に比べ理解のスピードが劣る。これを観客に悟られることなく字幕を作る仕事において、それらセリフの一つ一つに翻訳者の意訳があり、時に原語を超えるセリフが生まれることさえある。
「旅情」(1955)において「ステーキが食べたくても、ペパロニを出されたらペパロニを食べなさい」というセリフを「スパゲティを出されたら、スパゲティを食べなさい」と変えたのが清水氏であるそうだ。彼と時を同じくして映画字幕で活躍した高瀬鎮夫氏は「カサブランカ」において“Here's looking at you, kid を「君の瞳に乾杯」とあてた。
そのような渦中にあった清水氏であるからこそ、チャンドラーの世界観を、言葉と気候自然を、つまり文化を超えて我々に提供してくれるにふさわしい人物であったようだ。
今作においてマーロウ以外の人物においても、大鹿マロイ、グレイル夫人、アン・リアードン、ランドール警部補、レッドなど、それぞれの人物がそれぞれの「リリシズム」に彩られている。愛しき女を追い求めた大鹿リロイが迎えた結末もやるせななく、追い求められた女もさらに切なかった。
作者チャンドラーの偉業は言うに及ぶまいが、日本人は、翻訳者清水氏に、作者の同等の賛辞と感謝を送るに疑いない傑作であった。
「ロング・グッバイ」は村上春樹氏訳を読んだ、やはり「長いお別れ」を読むべきだとあらためて思った。
- 感想投稿日 : 2014年5月13日
- 本棚登録日 : 2014年3月7日
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