ちくま日本文学004 尾崎翠 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房 (2007年11月20日発売)
3.81
  • (61)
  • (46)
  • (72)
  • (6)
  • (4)
本棚登録 : 656
感想 : 63
5

「こおろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」「第七官界彷徨」「詩人の靴」が好きだ。

以下引用。

 それから私たちは、その粉薬の副作用について、一握の風説をきいた。この粉は、人間の小脳の組織とか、毛細血管とかに作用して、太陽をまぶしがったり、人ごみを厭ったりする性癖を起させるということである。その果てに、この薬の常用者は、しだいに昼間の外出を厭いはじめる。まぶしい太陽が地上にいなくなる時刻になって初めて人間らしい心をとり戻し、そして二階の仮部屋を出る。(こんな薬の常用者は、えて二階の仮部屋などに住んでいるものだと私たちは聞いた)それから彼等が仮部屋を出てからの行先について、私たちは悪徳に満ちたことがらを聞いた。こんな薬の中毒人種は、何でも、手を出せば掴み当てれるような空気を掴もうとはしないで、どこか遠いはるかな空気を掴もうと願望したり、身のまわりに在るところの生きて動いている世界をば彼等の身勝手な意味づけから恐れたり、煙たがったり、はては軽蔑したり、ついに、映画館の幕の上や図書館の机の上の世界の方が住み心地が宜しいと考えはじめるということだ。薬品のせいとはいえ、これは何という悪い副作用であろう。この噂をはじめて耳にしたとき、私たちは、つくづくと溜息を一つ吐いて、そして呟いたことであった。この粉薬は、どう考えても、悪魔の発明した品にちがいない。人の世に生れて人の世を軽蔑したり煙たがるとは、何という冒瀆、何という僭上の沙汰であろう。彼等常用者どもがいつまでも悪魔の発明品をよさないならば、いまに地球のまんなかから大きい鞭が生えて、彼等の心臓を引っぱたくにちがいない。何はともあれ、私たちは、せめてこのものがたりの女主人公ひとりだけでも、この粉薬の溺愛から救いださなければならない。
 けれどそのような願いにもかかわらず、私たちはその後彼女に逢うこともなくて過ぎた。すると彼女は、このごろ、よほど大きい目的でもある様子で、せっせと図書館通いを始めてしまったのである。(「こおろぎ嬢」p.12~13)

 そのころ、僕は、おたまじゃくしの詩を一篇書きたいと願望していました。切に願望していました。梅雨空から夏、夏から秋にかけて、僕は、二回の借部屋で、おたまじゃくしのことばかし考え込んでしまいました。(略)
 木犀の花は秋に咲いて、人間を涼しい厭世に引き入れます。咽喉の奥が涼しくなる厭世です。おたまじゃくしの詩を書かしてくれそうな風が吹きます。火葬場の煙は、むろん北風に吹きとばされて南に飛びます。このような一夜、ちょうど僕がおたまじゃくしの詩を書こうとしていた時、松木氏から人工孵化のおたまじゃくしが届いたんです。使者は、おばあさんの家の孫娘小野町子でした。
 松木氏、この一夜にあなたのされたことは、ことごとく失敗に終わりました。おたまじゃくしの詩を書こうとするとき実物のおたまじゃくしを見ると、詩なんか書けなくなってしまうんです。小野町子が季節はずれの動物を僕の机の上に置くと同時に、僕はもう、おたまじゃくしの詩が書けなくなってしまいました。僕は大きい声で告白しなければなりません。僕は実験派ってやつではないのです。僕はほかのものです。僕は、恋をしているとき恋の詩が書けないで、恋をしていないときに、かえってすばらしい恋の詩が書けるんです。僕を独りの抒情詩人にしようと思われたら、僕の住いに女の子の使者なんかよこさないで下さい。それにもかかわらず、松木氏は、僕の住いにひどく鬱(ふさ)ぎこんだ一人の女の子をよこしてしまわれました。そこで僕はおたまじゃくしの詩作を断念し、かえって恋に打つかってしまったんです。(「地下室アントンの一夜」p.41~43)


   おもかげをわすれかねつつ
   こころかなしきときは
   ひとりあゆみて
   おもひを野に捨てよ

   おもかげをわすれかねつつ
   こころくるしきときは
   風とともにあゆみて
   おもかげを風にあたへよ (「歩行」p.60)


 私のバスケットは、私が炊事係の旅だつ時私の祖母が買ってきたもので、祖母がこのバスケットに詰めた最初の品は、びなんかずらと桑の根をきざんだ薬であった。私の祖母はこの二つの薬品を赤毛ちぢれ毛の特効品だと深く信じていたのである。
 特効薬を詰め終わってまだ蓋をしないバスケットに、私の祖母は深い吐息をひとつ吹きこみ、そして私にいった。
「びなんかずら七分に桑白皮(そうはくひ)三分。分量を忘れなさるな。土鍋で根気よく煎じてな。半分につまったところを手ぬぐいに浸して――いつもおばあさんがしてあげるとおりじゃ。固くしぼった熱いところでちぢれを伸ばすのじゃ。毎朝わすれぬように癖をなおしてな。念を入れて幾度も手ぬぐいをしぼりなおしてな」
 祖母の声がしめっぽくなるにつれて私は口笛を大きくしなければならなかった。(「第七官界彷徨」p.84~85)

 さて夏が来て、三郎の象牙の塔を牢獄のように息苦しくしてしまった。三郎はやむを得ず窓と反対側の鼠色のドアを開けておかなければならなかった。(略)
 こんな風で、午後になると三郎は螺旋形の溜息(これは三郎の詩句を借りたものである。多分癇癪と悲哀の象徴であろう)を吐(つ)いて、憂鬱に陥った。人間嫌いで歩くことの嫌いな彼は、眠ることによって日中の呪われた時間を殺すより他の方法を持たなかった。それで彼は常人の昼と夜とが半分ぐらい喰い違った日々を送って、ようやく螺旋形の溜息と憂鬱から逃れることが出来た。(「詩人の靴」p.230~231)

 シルレルというのは夫人の愛犬で、一ヶ月ごとに改名させられる犬だった。佐々木夫人は文学が好きで、殊に外国文学が好きで、殊に戯曲全集を愛読していた。夫人の崇拝作家は一ヶ月ごとに変った。戯曲全集が月刊だからである。そして夫人は月々に崇拝する作家の名をそのまま愛犬に付けることにしていた。だから愛犬はチェホフ、ゲエテなどの過去名を持ち、イプセン、ストリンドベルクなどの未来名を約束されていた。(「詩人の靴」p.237)

 記憶を辿って、時々追憶の溜息を吐(つ)く事は、好い事だとお思いになりませんか。私に取っては、追憶は人生の清涼剤です。追憶の溜息は、この清涼剤によって外へ洩らされる物です。私には、穏やかな顔をして現在の自分に委任していられない気持が始終ありました。何事に限らず、日常の細かい事にでも、私は自分が今何かをし残しているような、また何かに残されているような不安が私にはありました。(略)
 こんな傾向を持つ私は、よく過去の私に遁れました。そして過ぎ去った私は、いつも、今の私よりどこか幸福だった気がします。……人間の幸福は過去にばかりある物ですね。追憶を通して生れてくる昔の私ばかりが、いつも穏かな、些(すこ)しの不安もない顔をしているのです。今の私でも、何年かの後、追憶の濾過に逢ったら、やはりどこか幸福の影を帯びて来るかも知れません。
 追憶によって生れた昔の幸福は、今の自分を降伏にしてくれるほど著しい力を持ったものではありません、けれどそこから幾分の慰めは来るようです。その慰めは溜息を吐かせる慰めです。昔思えばなつかしゅござる、の追憶の溜息を。追憶は人間を幾分でも慰めるために、あの消極的な一種なつかしい慰めを置いて行くために、時々やって来るのだ。追憶という心のはたらきは、人生の避難所の一つとして人間に与えられた宝玉だ。――私はいつとなくそう考えるようになりました。(「花束」p.293~295)

   佐藤春夫氏

 あなたの螺旋形の頭と多角形な心臓を瞶(みつ)めていましたら、こんな詩のようなものが出来てしまいました。夜のことでした。

   象牙の塔と地の上を往きつ戻りつ、
   薔薇に恋するかと思えばひとりさんまをくらう。
   ロオドバイロンの煙にお京が消え、その明後日は女誡扇綺譚。
   縷説の舌が長いと思ったらいきなり諧謔のつばきが飛んだ。
   感傷と嘲感傷、
   お伽ばなしと愛慾篇、
   遠い幻想と近い恋情。
   東洋人の胸に仏蘭西風な鼻をつけ、
   蒼白い夢かと見れば血の色のうつつ。(「捧ぐる言葉」p.435~436)


 一九七一(昭和四十六)年 七十五歳

五月、薔薇十字社より作品集出版の連絡があるも、翠は高血圧と老衰による全身不随で病床にあった。六月、鳥取駅に近い生協病院に入院。七月、病状次第にわるく、上旬、肺炎を併発し、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と大粒の涙を流して、七月八日、病院で息を引きとった。(後略)(「年譜」稲垣真美・日出山陽子編、p.477)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:   小説
感想投稿日 : 2012年6月9日
読了日 : 2012年6月14日
本棚登録日 : 2012年5月28日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする