反・幸福論 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社 (2012年1月17日発売)
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感想 : 59
2

「反・幸福論」佐伯啓思
2010年代日本の幸福論。特になし。

最近どこかの書評だか参考文献だかで出てて、気になっていたので読みました。
個人的に、東日本大震災後、「豊かさとは何か」がマイテーマで、何らかの参考を得られないかと。
日本の神々は死んだ。死生観こそ生きる価値観、受け身の処世(「他力本願」の愚者の願い、アリストテレスの云う自然への対峙、技術文明の構造)、などなど。

論というより、どちらかというとエッセイでした。
全体的に回答を与えるのではなく、違う価値観を説く、という感じ。

書いてある内容は共感するんだけど、「で、結局何?」みたいな不完全燃焼が否めないので、☆2つ。(2)

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以下メモ

幸せの青い鳥
日本国憲法の幸福追求権?だっけ?
近代経済主義は、幸せを「ここにはないもの」にしてしまった。
どこまでも虚栄の幸せを追いかけていかねばならない、原理的に。
絶対値としての利益の総量ではなくて、対前月対前年の成長する利益こそが幸福だから。
そう考えると「企業は発展しなければならない」って命題は恐ろしいな。

日本の神々を捨て、近代化・都市化に向かった必然が経済成長と幸せの喪失?うーん…
〈ふるさと〉には不幸と幸福が共存し、貼り合わせになっている、ってのは、メモメモ。
引用。“近代化、都市化とは、貼り合わせになった幸福と不幸を切り離し、不幸の方は捨てて、幸福だけを求めようとするものでした。”
→吾唯足るを知る、ためには、足るに対する不足、を知らなければいけないのでは。

嫁さんと結婚してよかったなー、幸せだなーと感じる。
そこに端的な理由はなくて、漠然と出てくる、幸せ、この類のことこそ真の追うべき幸福か?
なぜなら、幸せが追い求めるものでもなく、造り出すものでもなく、比較相対的なものでもないならば、自然と出てくる感情にこそ本当がある気がする。
でもそれって結局不幸感への良い回答にはならなくて、不幸と感じるならそれこそ不幸、ってことになる。
世知辛いやなー。。

福沢諭吉「福翁百話」

やはりしっくり馴染むのは、仏教の崇高さ、大局的なところ、絶対的な信仰などというよりも、もっと泥臭い《観》だな。「それでも」自然はそこにある。「それでも」日常は過ぎて行く。「それでも」衣食住足るを知る。悟りの境地そのものよりも、悟りを開こうともがく人間性にこそ、もっと俗物的に大切なことがある気がする。

p127
他人の幸福を目指すことこそ自分の幸福。
無理無理。イイけど、宗教だよ。日本人には特に無理、そんな求道的な。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ■新書
感想投稿日 : 2012年5月23日
読了日 : 2012年5月23日
本棚登録日 : 2012年3月25日

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