スマホが神になる 宗教を圧倒する「情報革命」の力 (角川新書)

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  • KADOKAWA (2016年10月10日発売)
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『スマホが神になる 宗教を圧倒する「情報革命」の力』
著者 島田裕巳
角川新書 2016年

宗教に関しての数多くの著作で知られる著者の宗教側からみた最新機器に関する論考。本書をの主張を簡潔に述べるのであれば、最新機器により宗教は今、岐路に立たされている。といったところだろう。詳しく解説しよう。
まずは本書の肝になる部分を引用する

ただし、ローゼンは、インターネットのインパクトは、必ずしも宗教界にとって好ましいものではないかも知れないと言い、『MITテクノロジー・リビュー』誌が伝えている。インターネットが盛んに利用されるようになったことと、宗教界に所属する人間が少なくなったこととのあいだの相関関係について触れている。
これはシカゴ大学の総合的社会調査のデータを、オーリン工科大学の教授、アレンダウニーが分析したものである
まず、基本的なこととしては、アメリカ国民のなかで、どの宗教団体にも所属していない人間は、1990ねんの8パーセントから、2010年には18パーセントに増えた。これは、無宗教の人間が2500万人増えたことを意味する。
ダウニー教授は、この無宗教の増加と関係していると考えられる、教育や社会経済的地位、宗教的な背景を分析したが、それでは説明がつかないという。
では、その原因は何なのか。
教授の仮説は、インターネットの使用者の劇的な増加だというのだ。

精神科医の片田珠美は、『孤独病ー寂しい日本人の正体』(集英社新書)という著者の中で「ネットで簡単で気軽という利便性を考えれば、人を孤独から救う宗教と同じ機能をネットが代替しているのはよくわかる気がする」と述べている。ネットは、「現代人の孤独を癒す格好の道具」だというのだ。

スマホを手に入れた人間は、年がら年中、それをいじり、画面に見入るようになっていく、そうなれば、神について思いを馳せる時間は必然的に奪われていく。その面ではイスラム教の信仰とスマホは共存できない。スマホは、信仰を弱体化させることに結びついていく可能性がある。

そうした反応が、イスラム教以外の宗教で起こらなかったのは、これまで述べてきたように宗教としての構造に違いがあるからだが、欧米や日本のような先進国では、すでに「世俗化
」が大幅に進行していて、日常の生活において信仰はさほど重要な役割を果たさなくなっている。

宗教というものは、究極的には個人のものであり、たった1人でも特定の信仰を持つことはできる。
だが、たいていの場合には、その周囲に同じ宗教を信仰している家族や仲間がいるわけで、その点では、宗教は共同体的で、社会的なものである。
(中略)
地域共同体もなく、家も共同体としての性格を失ってしまえば、そこには宗教など存在しようがない。資本主義社会は、宗教の存在基盤を脅かす方向に向かってきた。今やそのことがはっきりとした形をとり、世界的に、無宗教が増える事態が生まれているのである。

つまり、宗教自体がスマホなどの最新機器や資本主義の共同体の解体を促進するという一つの作用により、信者が激減(主に新興宗教が)しており、これからもスマホは進化していき、神の代理のようなものになり、その時宗教はどういうものになるのか、またはスマホ教それ自体が解体される日もあるのか。そのような内容である。

最新機器を導入し、うまく信者数を増やした事例として、真如苑が挙げられている。うまく適応した事例なのだろう。


これからの宗教について考えさられる1冊であった。宗教が消えるということは個人的にはないと思っている。宗教の機能からして、やはり、救いの面は大きく、今のような目まぐるしく変わっていく昨今どうしても適応できない人間も出てくる。そのような人たちを救うという側面でやはり、宗教のような中間団体の存在は必要不可欠であると考えるからだ。よって、私が考えるに、宗教は小集団化していき、何かを求めて、集まり、そして解散して、また何かを求めて集まるというようなグループの役割が強まっていくのではないかと考える。
だいぶ、ビジネス文脈の考え方であるが、このような宗教の集団が、今後生き残っていくのではないだろうか

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年1月19日
読了日 : 2024年1月19日
本棚登録日 : 2024年1月19日

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