同志少女よ、『敵』撃て
題名の『敵』について視点を考察しながら拝読した。
戦争中にアイデンティティーを保つ為には『敵』の存在が必要である。
その『敵』の対象は個人の復讐、国家体制、戦争犯罪である。それには葛藤を抱えながらアイデンティティーを保たなくてはならない。
狙撃小隊でママと呼ばれる事になったヤーナのシーンでは、戦争で失った家族愛を互いに慰め合い、またそれにより生と死が隣りあわせである小隊の絆もより深まった。
戦争とは言えゲームの様に殺戮スコアを喜び怪物化していく主人公セラフィマを看護官ターニャが殴る。
ターニャの固い信念がセラフィマを黙らせる。
セラフィマの大義は女性を守ることである事を思い出させ、『敵』を履き違えるなと言わないばかりに。
カチューシャの唄を歌いながら、ドイツ人女性を暴行している同志を撃つシーンは涙が止まらなかった。
(同志の存在はネタバレになるので伏せます。)
セラフィマが戦後に生きる希望を見出した時に、
『私の戦争も終わる』
教官イリーナの言葉が反芻している。
機会があれば、【戦争は女の顔をしていない】を拝読し当事者の葛藤を考察したい。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2022年7月7日
- 読了日 : 2022年7月7日
- 本棚登録日 : 2022年7月7日
みんなの感想をみる