雲を紡ぐ (文春文庫 い 102-2)

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  • 文藝春秋 (2022年9月1日発売)
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「複数の色の羊毛を混ぜてひとつの色を作ると、遠目には一色に見えても、糸に潜むさまざまな色の毛が、奥行きや味わい、光を布にもたらすものです」
美緒のおじいちゃん、山崎紘治郎の経営する山崎工藝舎では、羊毛を洗い、染め、糸を紡ぎ、その糸で布を織って製品を作る。
そして、求める色の布を織るには、初めから染料の段階でその色を作るのではなく、何色かに分けて染めた羊毛を混ぜて糸を紡ぐのだ。
どんな色の糸をどの染料で染めた羊毛を何パーセントずつ混ぜて作るかを研究した「色彩設計書」。祖父は宮沢賢治の文学や外国の絵本や鉱物の収集など幅広い趣味と知識からセンスを育み、「紘のホームスパン」として大人気の高級ウール製品を生み出してきた。
東京の高校で友人関係に悩み、登校拒否になっていた美緒。両親もそれぞれ仕事のことで悩み、ギスギスした家庭環境の中、美緒は小さい時から大切にしていた父方のおばあちゃんの織った赤いショールにくるまってばかりいた。その姿を「逃げている」「甘えている」と見て許せない美緒の母は、ある日そのショールを取り上げてしまった。
大切な祖母の形見のショールを取り上げた母を許せない美緒は家出をし、父方の祖父を訪ねて山崎工藝舎のある岩手に一人で行った。
そして、汚い羊毛を何度も手洗いした後、染料で染め、糸を紡ぐところから初める手仕事に引かれ、自分でショールを織りあげるまでは東京に戻らないと美緒は決めた。
「このままでは留年になる。美緒ちゃんの入った高校は名門校なんだから、卒業だけはしないと」と攻める母親と母方の祖母。だけど、ホームスパンを作る父方の祖父絋治郎は言ってくれた。
「名門であろうとなかろうと、美緒が学校に行けなくなった理由を作った生徒がいる場所で美緒が楽しく過ごせますか」と。
このまま、山崎工藝舎を継いで職人になるのか、東京に戻って高校に戻るのか、別の学校に行くのか答えが出せなくて、黙ってしまう美緒。
そんな美緒に「逃げてはダメ。将来のことをちゃんと考えて。黙っていては分からない。自分の意見をちゃんと言って」と責め立てる、母と母方の祖母。
だけど、父方の祖父絋治郎は言ってくれた。
「そんなに自分を責め立てるな。「今は選べない」それも選択の一つだ」と。
「本当に自分のことを知っているのか?何が好きだ?どんな色、どんな感触、どんな味や音、香りが好きなんだ?何をするとお前の心は喜ぶ?心からわくわくするものは何だ?」
「自分はどんな「好き」で出来ているのか探して、身体の中も外もそれで満たしてみろ」
「大事なもののための我慢は自分を磨く。ただ辛いだけの我慢は命が削られていくだけだ」

 汚い羊毛を手洗いして、染め、色を決め、色彩設計書にそって糸を紡ぎ、機を織る作業にはとてつもない工程があり、それぞれの工程で満足のいく技術を磨くのに、何年もかかる。それを家で作っていた時代の「ホームスパン」の仕事を代々している山崎工藝舎。
受験戦争という線路に子供たちが時刻表どうりに乗っていく現代とは相反する。

美緒の母はその母である祖母が早くに離婚して、男社会の中で闘ってきた人であったため「逃げるな」「男に負けるな」と言って育てられた。だから、何かあると何も言えなくて、父方の祖母の形見の赤いショールにくるまってばかりいる美緒のことが「甘えている」ように見えて許せないのだ。
だけど、父方の祖父は黙っている美緒のことを「気持ちを上手く言葉に出来ず、あるいは人に言うのが辛くて何も言えないでいる。せきたてずにゆっくり見守ってやれば、あの子の言葉は自然にあふれてくる」と見守るように言ってくれた。

一人っ子である私自身も特等席の切符をもらって親に敷いてもらった線路の上を走ってきた。もちろんそれなりに努力はしてきたけれど、何故だろう。形式上は卒業してきたのに、卒業してきた気がしない。
「何かが違う」とずっと思い続けてきた。多分ガイドブックに載っている名所ばかりを手取り早く回れるように構成されたパック旅行のような人生を歩んできたからだと思う。
だけど、私はそれしか知らないから、そういうルートに乗れなければ駄目だと思い、一番上の子のことは急き立てて育てた。
「いつまでに何をしなければ駄目」
「今この成績では駄目」
「友達に負けては駄目」
と、今から思ったら呆れるようなことばかりを言っていた。自分こそが「卒業」できていない大人だったのに。
長女が私を「卒業」させるように離れて行った今、ナマケモノののようにゴロゴロしている末っ子を見て思う。いつも友達のすごいところばかり話していて、自分は負けて悔しいとか自分だけの何かを作ろうとかそんな気概のなさそうな子だけど、それもすごい長所だと。いつも周りをホッコリさせる空気を纏っている子。それだけでもすごい存在価値がある。ホームスパンの糸が色んな色に染められた羊毛を混ぜて個性豊かな色の糸を作っているように。

歳を取るって悪いことでは無いですね。絋治郎さん。それを悟るために傷つけてしまった人もいるけれど。

「親には親の旅が、子供には子供の旅がある。ようやくそれに気付いたの」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2024年3月9日
読了日 : 2024年3月9日
本棚登録日 : 2024年3月9日

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