トマス・マンときてまずこの短編集、というのもちょっと奇妙なのかもしれない。もちろん魔の山も、ドクトル・ファウストゥスも、トニオ・クレェゲルもよいけれど、わたしはここに収録された二編、とりわけ「混乱と稚き悩み」と題された掌編がとても好きだ。<br>
この他愛なくしかし美しい作品を、――古い見知ったものを刷新し奪い去る新しい時代の到来が、小さい娘の成長と初恋のきざしのなかに投影される作品――と言ってしまってはまちがいだ。コルネリウス教授のささやかに利己的で報われない、愛情と呼ばれる小さな独占欲を描いた描写は、この作品の白眉であれこそすれけっしておまけではない。
「この一瞬間、彼はこの今晩の祭りを憎んだ。今晩の祭りは、その雰圍氣の中に混つてゐるあやしげな要素でもつて、彼の愛兒の心をかき亂してしまつて、彼から引き離してしまつたのだ。(中略)彼は機械的に微笑した。彼の瞳は曇つた。さうして、目の前に踊つてゐる人々の足の間に見えてゐる、どこかの絨毯の模様をじーつと「見つめ」た。」(141-142頁)
マンの(そしてたぶん訳者の)筆のきらめきは、こうした描写に潜んでいるとわたしは思う。愛娘の親離れに対する父親の落胆は、ここで喜劇的に描かれることもできただろう。しかしマンはそうしない。滑稽であるはずものを、その滑稽さの枠組みを残したまま、ひどく繊細に哀切に、そして深く暗いものとして描く―<br>
これが彼の手腕である。
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- 感想投稿日 : 2006年3月1日
- 本棚登録日 : 2006年3月1日
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