メガバンクの体験談。
以前にも、知人から聞いていたり、ネット上の愚痴や「○○証券残酷物語」を読んで多少の知識はあったが、それでも驚きがあった。ただし、本自体はただの体験談。
多少の部活経験があればこういう職場でも耐えられるだろうが、その我慢自体は無意味(というより不要かも知れなかった努力)なので、職場の人間関係を重視する人に金融は不向きなのかもしれない。
思ったことを羅列。
・学業優秀な著者はわずかに感情的な印象がある。
・是非判断を一旦脇に置いても、この環境では逆に仕事の能率が低下するのでは。従業員の文句ではなく職場の黄信号と捉えた方がいいと思う。
・「花形支店で優秀な行員が揃っているはずが人格破綻者が多い」これは笑えない。
・若手行員は上司のストレス発散の捌け口になっているというのは、先輩-後輩の連鎖が続いていく点で、いつぞやのどっかの国の軍隊の話に似ている。(上官が部下を殴り-部下がさらに若手を-最後に馬がいじめられる)
・中学の部活で理不尽に殴られていたのを思い出した。
脱線:集団の構成員をまとめる/教育する/規律を守らせる、場合には過剰な軍隊式以外ないの?縦でも横でも、いじめなら何処にでもあるが。
追記(2014-09-13):
著者の考えが甘い部分もあるし、この支店の程度がおかしいのもある。ミスマッチなのは間違いないが……
この手の話題になると、ネット上でも会話でも、ふたつの意見がぶつかる。(立場の強弱もある。)
1.「社会はそうできている以上、耐えられない個人の方が悪いから我慢すべき/変われ/辞めろ」という意見、
2.「労働法に反したり、道徳・倫理的に反する労働環境が悪い」という意見、
あと折衷意見も。
で、この手の議論を見ていても大してスッキリしない。日本的雇用意識やらブラック企業やらゆとり世代やらのバズワードがうるさいのもあるが、原因はそこではない。たとえ議論が進んでも、根本的に「価値観VS価値観」でぶつかり合うと、やはり妥協の解決しかなくなる。
経済学をかじったせいか、私は別のことが気になる(これも、煎じ詰めれば別の基準を持ってくるということだけど)。1つの社会の中で「不当に労働者を働かせることで得しようとする企業」、つまり労使関係がおかしい会社はいつでも発生しうる(というか、している)。これは、利益追求という企業の目的からして、ダメだけど自然なことだ。
さて、このブラック企業(ここでも定義不明瞭だけど置いといて)単体で見れば、(賃金以上に労働をさせたりして)普通にやるよりもうけ[利潤]は幾分よい。しかしマクロ的に社会全体でみると、労働者を供給する家計にこういうダメージ(別の表現ないかな……)を与えいる点は見逃せない。しかもこれは、企業が「そのこと」で得した分を相殺するだけでなく、帳消しにしても足りないほど大きい。すこし具体的に言えば、(厚生経済学の価値基準の一つの尺度としての「余剰」を使って)、社会的な余剰がマイナスになるということだ。これがどういう風に起こるかをまとめて端的に言えば、こういうことをする企業は「フリーライダー」と言える。
で、社会的にはそんなタダ乗りは許せませんよ、という話。
- 感想投稿日 : 2014年3月20日
- 読了日 : 2014年3月19日
- 本棚登録日 : 2014年3月20日
みんなの感想をみる