哲学カフェ=ソクラテス・カフェをファシリテートしてみたい。
という目的のもと、イデア論に染まる前のプラトン、つまり、対話篇の主人公であるソクラテスが、現実に近い形で描かれているとされる初期プラトン作品をまとめ読みすることとする。その1冊目。
「徳は教える事ができるのか」というお題について、ソクラテスとソフィストの代表プロタゴスが手に汗握る知的言論バトルを繰り広げる。
「お金をとって、徳を教える、なんぞ、許しておけねー」的な調子で、プロタゴラスのところに向かうソクラテスなのだが、このプロタゴラスさん、結構、真っ当な人で、ちゃんとごもっともな説を述べる。
対して、これを突き崩そうとするソクラテスのほうが、やや詭弁ぎみで、ときどき論理が飛躍する。で、そこはさすが、ソフィストのプロタゴラスさん、論理の飛躍を指摘する。
プロタゴラスさんが、長い弁舌をふるうと、ソクラテスは、「立派だが、長過ぎて、分かりにくい。もっと端的に答えよ」なんて、言うのだが、あろうことか、自分も本題とは関係ないところで、ながながと詩文の解釈を披露したりする。
結構、プロタゴラスの主張のほうが常識的で、共感を持てて、ソクラテスの主張と論の進め方のほうが、なんか感じ悪かったりする。
で、最後は、ソクラテスが、お互いに最初に議論をスタートした時点と逆の立場を主張する形になっていることを指摘して、おしまい。
ということは、ソクラテスの感じの悪い詭弁は、ソフィストのパロディだったわけ????
ここで議論されている内容が何なのか、作者の意図は何なのかは、分かりにくいのだけど、この本、アテネにおける哲学的な議論の場をライブに切り取ったものとして、すごく面白いと思う。
プラトンの「国家」を以前に読んで、ソクラテスの論説に対して、"yes", "no"しか言わない他の対話の参加者の影の薄さが気になっていたので、このライブな「対話の場」の描写は、私の目的にはとてもフィットしていた。
- 感想投稿日 : 2017年4月30日
- 読了日 : 2008年9月20日
- 本棚登録日 : 2017年4月30日
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