アーレントの最後の著作「精神の生活」の第1部「思考」。
晦渋で有名なアーレントの中でも、「最も難解」と言われる「精神の生活」にチャレンジ。
かなり、気合を入れて読み始めたけど、そこまで難しいわけでもないかな。(わかりやすい訳ではないけど)
アーレントを政治思想家、全体主義研究家として捉えた人には、多分、わかりにくいだろうな。だって、ギリシャ哲学を起点に西洋哲学の全体を批判的に総括し、乗り越えようという試みだからね。
でも、ベースとなっているのは、大学での講義なので、ある程度の前提知識は必要ではあるが、一つ一つ丁寧に論を進めている感じは伝わる。アーレントの著作の難解さは、一つのストーリーをしっかり伝えることを避けて、複数の解釈に開かれるのを意図していることからきていると思う。
その点、この著作は、アーレントの全思考の総決算みたいな感じ。アーレントを他の著作を色々読んだ後では、バラバラに論じられていたことが関連づいていく感覚があって、うれしい。
この本が書かれた動機の一つとして、アイヒマン問題があって、「凡庸な普通の人間が巨大な悪をなしうるのは思考しないためである」という考えをより深めるためということがある。
というわけで、「後期」アーレントともいうべき思想の展開があるのだが、それ以上に驚くべきは、内容が最初の著作である「アウグスティヌスの愛の概念」から、「活動的生」を通じて、一貫性を持って繋がっていること。
具体的な内容についてコメントするほど、まだ頭は整理されていないけど、西洋哲学の形而上学的な傾向を批判的にレビューしていく中で、たどり着くのは、ソクラテスの自分との自己一致して生きるという西洋哲学の源流となる思想。
自己一致という言葉があるのは、一致しないことがあるから、自己一致が大切になるんだよね。つまり、自分の中に複数の自己があって、自分の中での複数の自己の対話が「思考」のベースなのだと論を展開していくところが実に素晴らしい。
アーレントは、もともとは「実存主義」的な傾向が強くて、自分の一回の人生というところに相当のこだわりがあるのだけど、その一回性の生が、自分一人で成立するわけでなく、他者との関わりの中で成立する実存であるというところに力点がおかれているのが特徴。
自分の中の複数の自分の中で議論して、そこからより良い生き方を見出していこうという姿勢は、複数の価値観をもつ他者と一緒に良い未来を生み出していこう、という思想と一貫しているわけですね。
ここのところが、多分、アーレントの「ポジティブ・コア」で、ここがわからないとアーレントは、ただただ難解で、皮肉っぽい悲観論者にしか見えなくなる。
(しばしば、彼女の本や論文が、スキャンダラスな論争を呼び起こしてしまうのは、思想というより、彼女の書き方の皮肉なトーンなんだと思う。では、なぜ、そういうシニカルなスタイルなのかというと、それはきっと彼女がシャイだから、なのではないかと思う。)
という私のアーレント理解の証拠を見つけた感じ。
- 感想投稿日 : 2017年11月4日
- 読了日 : 2017年11月4日
- 本棚登録日 : 2017年11月4日
みんなの感想をみる