13階段 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2004年8月10日発売)
4.07
  • (1961)
  • (2180)
  • (1298)
  • (90)
  • (23)
本棚登録 : 14285
感想 : 1605
5

記憶喪失の死刑囚の冤罪を晴らすため、刑務官と仮釈放中の前科者が証拠を探す話

刑務官という仕事に疑問を抱いた南郷正二
10年前の千葉県中湊群での保護司夫婦殺害事件の犯人として死刑囚となった樹原亮の冤罪を晴らす仕事を受けた南郷は、自分が担当して仮釈放となった三上純一を誘い調査を始める
三上は傷害致死によって二年の実刑となった前科者であり、また10年前に家出をして当時の彼女と事件当日に中湊群で補導された過去を持つ

樹原は事件の近辺でバイクの事故を起こし、前後数時間の記憶がない
保護司をしている宇津木耕平と妻が殺害された家からは凶器や現場から持ち出された銀行通帳と印鑑も見つからないまま、状況証拠で死刑が判決が出た
樹原の再審請求が棄却され、また刑の確定から7年が経とうとしている今、残された時間は少ない

断片的に戻った、階段を登ったという記憶を頼りに、事件の真相と真犯人を探す二人
果たして、樹原の冤罪を晴らすことができたのか?南郷が刑務官を辞める理由とは?三上が10年前に家出中の出来事とは?


刑罰による刑務所での矯正の目的と意義
死刑制度の是非、死刑執行の実態
被害者遺族の感情、加害者家族の生活、前科者への社会のあり方
犯罪事件における様々な問題や立場が描かれていると共に、いくつもの伏線が含まれた上質のミステリになっている

タイトルの13階段は、死刑執行への手続きの段階が13ある事と昔から言われている事の符号的な意味合い

自分の命の期限が今日かもしれないと思って朝を迎える死刑囚の行動と心理
個人的には、それだけの罪を犯したわけだから、死刑も致し方ないと思う

現行の法律において殺人を伴わずに死刑がありえるのは内乱罪や外患誘致くらいなわけで
死刑囚は少なくとも2人以上の命を奪っているはず
「現在の日本では、年間千三百名あまりの殺人者たちが逮捕投獄されるが、そのうち死刑判決を受ける者はわずか数名である」というセリフにあるように、ただ単に殺人を犯しただけでなく明確な殺意があると思われる状態で極めて残忍だと認められないと死刑判決は出ないのではなかろうか
だとしたら、そんな犯人を社会として生かしておくべき意義はどこにあるのだろうか?

法律は何のためにあるのか?何のために法を犯したものは罰を与えられるのか?
刑罰は、犯した罪の報いを受ける「応報刑」なのか、矯正を目的とした「目的刑」なのか?
目的刑だとしたら、死刑の目的とは?

「あいつは更生しないよ。法律の条文に従って刑務所を出されただけだ」
というセリフからは、目的刑としての効力があるようには思えない
実際に、日本の再犯率は半数を超えるわけで
でも、半分も更生したとも言えるのか?

刑務所で初めて規則正しい生活をするという受刑者
生育環境の違いにより犯罪率が違うんだろうか?本人のせいなのか?
ただ、同じ状況で育っても犯罪を犯す人と侵さない人がいる
そう考えると、犯罪を犯す人は何が違うんでしょうね?


死刑囚と無期懲役との違い
無期懲役では「改悛」しえないという境界があるのであれば、死刑も目的の一つとなり得るかもしれない
ただ、改悛したところで社会に戻せはしないのに、意味があるのか?という新たな問題が出てくる

刑罰は被害者や遺族のためのものではなく、罪を犯した者へのもの
でも、被害者側の心理を慮るに、罪を犯した人間には相応以上の罰を受けて欲しいというのは理解できる
そもそも、被害が戻るわけでもないので、そもそも相応というのが存在しない

作中でも
「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次に出てくるんだろうな?あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行なわれなくなるんだ。死刑制度を維持してるのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」
というセリフがあるように、犯罪を犯す人がいなくなれば刑罰の必要はなくなる
犯罪にも軽重の段階があるけど、人を殺すというハードルは一般的にはなかなか超えられないものだと思うんだけどね


そんな殺人犯の死刑囚への刑務官による死刑執行とその苦悩
死刑は国家の体制による決定でも、実行するのは誰かの手による必要がある

某公共放送の当事者からねほりはほり聞く番組で刑務官の回があったけど
見ていて結構きつかった
誰かがやらなければいけない仕事だけど、その仕事のお陰で社会の秩序が保たれているという事に感謝すべきなんでしょうね


死刑確定後6ヶ月以内に執行するというのは有名無実化し
再審請求等の期間も含めて、実際には平均して5~7年に行われている
冤罪の可能性や不可逆的な状況を回避するために、死刑執行まである程度の期間が必要なのはわかる
ただ、その期間がどのくらいが妥当なのかというのもまた議論が必要でしょう

作中では恩赦についての言及もあったけど
殺人犯や死刑囚には適用すべきではないと思うし、他の犯罪に関しても実刑を受けた人は適用してはダメでしょうね
そもそも、国家としての慶事があったとて犯罪者の罰を軽減する
必要ってあるのかが疑問



犯罪というのは犯罪者だけでなく、被害者や家族と周辺、刑務官、弁護士、検察官、警察官など様々な人に影響を与えるし、それぞれの苦悩がある
果たして、贖罪というのは何なんでしょうね?

被害者やその家族にとっては、犯罪者がどうなったとしても過去は戻らないけど
だからといって犯罪者がのうのうと暮らしているのは許せないでしょう

服役が終わったからといって、その罪が許されたわけでもない
さらに、前科者への社会の壁

「この国では凶悪犯罪の被害者になった途端、社会全体が加害者に変わるんです。そしてどれだけ被害者をいじめても、誰も謝罪しないし責任もとりません」
というのは、犯罪者からすれば悲劇的な状況だけど、そもそも被害者も自分が被害に遭うことなんて想定していないことでしょうし、妥当な報いなのだろうか?

私刑が禁止されているというのはもっともだけど
被害者やその家族のケアはもっと厚くても良い気がする

事件の真相が明らかになったときや佐村恭介が亡くなった理由がわかったときには、読むのを中断して思わず上を仰ぎ見てしまった

もし自分の近しい人が被害にあったら、どうするだろうね?


宮部みゆきが解説で、「手強い商売仇を送り出してしまったものです」と語っているのも納得の小説でした

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年3月2日
読了日 : 2023年2月18日
本棚登録日 : 2023年3月2日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする