素敵な物語。
古き良き「北米文学」
紙の本で、しかも文芸作品を読むという行為が既にノスタルジックになりつつある中でこの物語は古き良き北米(アメリカ合衆国とは言ってない)文学体験を思い出させてくれる。
ポール・オースター、カポーティ、メルヴィル、フォークナー、ヘミングウェイ、ルーシー・モンゴメリ・・
本を読むのが大好きだったし、書店が好きだったし、古本屋も好きだった。
しかしいつからか読書から遠ざかり、お気に入りの書店は縮小され、或いは閉店し、気付けば電子書籍リーダーやらスマホやらで活字中毒の禁断症状を癒した事もあった。
『いまやチェーンの大型書店もいたるところで姿を消しつつある。彼の見方では、チェーンの大型書店のある世界よりもっと悪いのは、チェーンの大型書店がまったくない世界だ。』(p.287)
この物語は孤独、ひとりぼっちだった主人公たちが読書を通じて、書店を通じて、繋がりを得てゆく物語である。
このプロセスはまるでモンゴメリの『赤毛のアン』よりもむしろ『可愛いエミリー』を読んだ時の体験に似ていたかもしれない。
しかし、やがてAmazonや「電子書籍リーダー」の登場と加齢が迫ってくる。
現代は、活字を、言葉を失いつつあるのだろうか。
むしろ、我々はもう既に十分過ぎるほど言葉を失い、文芸を読むという行為を失い、豊かな感情体験をする機会を失い、共感する心もなくなりかけているのだろうか。
読書は元来孤独な行為だったが、読書をする人はより一層孤独になってゆくのではないか。
このようにも感じる事もある。
そこで、『ぼくたちはひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない。』(p.327)というフィクリーの言葉が刺さる。
そして、各表題代わりの短編の名前とフィクリーの名で書かれた読書リストが、最後の最後に活きてくる。
この素晴らしくノスタルジックで素敵な物語体験は本が好きでよかった、としみじみと感じさせてくれる。
古き良き北米文学だった。
- 感想投稿日 : 2019年10月24日
- 読了日 : 2020年6月3日
- 本棚登録日 : 2019年10月22日
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