上から目線の現代
「上からだな」。
そんなことを言われたことが何度かある。
私自身は誠実に対応していたつもりだったが、受け取った側にとってはそうではなかったようだ。
こらえつつも、そういうあんたの方が「上から」じゃないか、そう感じたものだ。
そんなやり取りの中、一体「私」と「あなた」の間には何が起きているのだろうか。
著者はその理由を、会話のテンプレートの消滅にあるとしている。
今まではとりあえずの無難な会話で、良くも悪くも「流す」事をしていた。
それが価値観の応酬になってしまい、真っ正面からぶつかり合うようになってしまったというわけだ。
なるほど、確かにそれはあるだろう。
どうやって会話を進めたらいいかわからない、でも相手の言っていることは自分とは相容れない、相手が主張するのだから自分だって主張していいはずだ.....
それが互いに譲り合うことをしないものだから、双方何とも腹立たしい気分になる、というわけだ。
事はテンプレートの有無だけの単純な問題ではないだろうが、価値観を認め合う文化が創られる前に、多様な価値観だけが増大してしまったということだろうか。
著者が示す、何もかも対等であればいいというわけではない、この指摘は真っ当なものだ。
タテマエとしては、皆が平等で、誰も見下してはならないしその権利もない、ということになるのだろうが、それをやればやるほど人間関係がぎすぎすしたものになっていく。
私が私が!このやり過ぎはかえって不平等を生み出すのではないか?
「上から目線」に着目した点は斬新だ。
例示も多く読みやすい。
しかし、何もかも上から目線がもたらしたといってしまうのは、いささか乱暴な気がする。
多少同意できない点はあるものの、現代の人間関係を考察するものとしては面白い。
- 感想投稿日 : 2013年9月23日
- 読了日 : 2015年3月20日
- 本棚登録日 : 2013年9月23日
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