「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

  • 文響社 (2019年7月12日発売)
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もともとの縮約版が形而上学的部分を割愛していたことで不評であることを聞いており、この完全翻訳版を読んだが、それでもなお、もっと徹底的に形而上学的部分の検討をして欲しかったというのが率直な感想である。前半の哲学的検討の着眼点や展開は非常に面白かったが、不十分な幕切れという印象。
まず魂という非物質的存在を肯定する二言論と、あくまで心や魂は脳などの物質的存在の状態を表す方便として意味を持つとする物理主義との対置は面白く、著者が物理主義側に立って議論を展開するのも、私の個人的な考えと合致していて納得感が高かった。そして、意識やクオリアについては未だに物理主義でも二言論でも説明不能であり、従って引き分けに思えるものの、魂という不確かな存在を信じるのが考えうる説の中で最も妥当であるという論拠がない以上、やはり物理主義を(現時点では)とるのが合理的という説明はさすがであったが、本書を読むときに一番期待していたのが、この意識やクオリアの正体についてであったために、肩透かしをくらったような気分。
後半は、哲学的というより、人生観、どう生きるかの啓発のような内容。死んでしまえば快楽もなくなるが苦痛もなくなるため本質的に悪いものではなく、死なずに生きていれば本質的に良い快楽などを経験できるにも拘わらずそれが失われてしまうという意味において、死は相対的にわるいという剥奪説をとる。
そして、悪い事象であっても、それが確実に訪れる場合には、嫌がったり悲しんだりするのはともかく、恐れるのは合理的な反応ではないとする(恐れとはその発生が不確かな事象に対して適切な反応である)観点から、死を恐れるのは(そういった感情がよくあることは理解したうえで)適切な反応ではないという。そのうえ、不死は耐え難い悪いことであることを示したうえで(永遠という時間に耐えられる快楽も楽しみもない)、死に対する適切な反応は、悲しんだり嘆いたりすることよりも、むしろ、限りある生を受けてそれを経験できていることへの感謝であるとする。そして、剥奪説の観点から、人生のあらゆる良いことを経験するには絶対的に短すぎる人生を生きるうえで、やり直しの機会が(1万年の寿命がある場合に比べて)少ないことを踏まえて、何をやるべきかを定めることとそのためにやるべきことをやることに注力して生きるべきだとする。ここらへんは圧巻の展開。
死を、生命のあらゆる現象の終わりであり、本質的にはプラスマイナスゼロの現象であると冷静に割りきったうえで、場合によっては自殺も合理的選択になりうると説明される。
前半の物足りなさを除いて、素晴らしい内容だった。
ただ、余命半年の学生が受けたいと渇望した授業という触れ込みがあったが、実際には、余命半年の学生が残った人生の目標をイェール大学の卒業と定め、その一環でこの授業をとっていただけなんですね。本書の中でそのように説明されていて、ちょっと面白かった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2019年12月29日
読了日 : 2019年12月29日
本棚登録日 : 2019年12月29日

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