山口晃 親鸞 全挿画集

著者 :
  • 青幻舎 (2019年2月1日発売)
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感想 : 9
5

本屋で一目ぼれ。
全ページ、なめるように読んで、うっとり眺めた。

山口晃氏というと、こまかーい絵巻物風の街の絵を描く人、というざっくりしたことしか知らなかったが、ずいぶんトボけたおもしろい人なんだな~と思った。
挿画1枚1枚に添えられた文章があまりにもおもしろく、夢中になって読んだ。
しかもインテリジェント。画集なのに、いくつもいくつも知らない言葉がいっぱい出てきて、調べちゃったよ。「赤備え」とか。「桿体視覚」とか。

私が選んだわけではないですが、我が実家は浄土真宗。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、49日間、毎日のように家族総出でお経をあげさせられたので、私は当時小学校低学年でしたが、いまだにところどころ覚えていて暗誦できる。(意味は不明のまま)
さらに、親鸞の人となりについては妻帯もした割と合理的な人、という印象もあり、興味は大いにあるので、小説の方も読んでみようかしら、なんて思いながらこの画集をめくっていたが・・・

五木寛之センセイだかなんだか知らんが、いちいち挿画に口を出していて、なんと「顔禁止令」まで出していたと知り、猛烈に腹が立ったので、そんなヤツの小説など読まん! 読むのはやめ!(笑)

なんで自由に描かせないんだ。
どうせ挿絵でイメージが固定するのが嫌だったのだろう、と想像するが、もう人間が小さいったらない。
挿絵に限定されてしまうような内容ならそれだけのものなんでしょうが、と言いたい。
しかも、センセイがこういう絵にしてほしい、って出してきているその要望がもう陳腐っつーか、ショボイっつーか、ありきたりで平凡でガッカリする。

ああ、センセイがしょーもないことを言わなければ、善鸞だって、卵なんかに描かれずにちゃんと顔を描いてもらえたんだろうに、と残念でならない。覚蓮坊だってベルク・カッツェのかぶりものになっちゃってるし。
顔がいいのに。いや、顔がないのも全部いいんだけど、顔が出てくると、すごく胸にぐっと来るんだけどなぁ。ああ残念。
(ベルク・カッツェはおもしろいからどっちでもいいけれど)

そういえば、「どこかのお寺のブログに "手抜き" と批判されていた」という絵、第二シリーズの最初の絵「2-001」(激動を予感させる強い風の中に親鸞と恵信が立っている絵)、私はものすごく好きなんだけど、これを手抜きと言う人もいるんだ、と驚愕した。
センセイに限らず、絵というのは結局数学みたいに答えが1つじゃないから、長期にわたって挿絵を描くってのはノイズが多くなるもので、大変な作業なんだなと思った。

余談だけれど、新聞の連載小説というのは、出版社が配信していて、複数の新聞で採用されることもあるんだ、と初めて知って、そのことも興味深かった。

実は今、会社で購読している某ローカル紙の連載小説がめっちゃくちゃおもしろくて、毎日毎日、ウッキウキで読んでいる私。
その名も、「いい湯じゃのう」(風野真知雄 著)!
タイトルを初めて見た時は、「えー、つまんなそう・・・ガッカリ・・・」などと失礼なことを思ったのだが、いまや、会社に行く原動力の1つと言ってもいいくらいの大切な存在に。
今まさに物語はクライマックスなので、目が離せません。っていうか、大団円に向かっている気配があるので、もうすぐ終わるのか?と「いい湯じゃのうロス」に脅えてすらいる始末。

山口さんが画集の中で、「新聞小説には、読者からの感想自体がまず来なくて、たまに来ても設定がおかしい、などの苦情ばかりだそうだ」と書かれていたので、ここは長く続けてもらうためにも、新聞社にファンレターを書くべき?などと考えている私であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 写真集・画集
感想投稿日 : 2019年11月26日
読了日 : 2019年11月25日
本棚登録日 : 2019年11月26日

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