地下室の手記 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1970年1月1日発売)
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 久々に、心に重々しく迫ってきて、余韻を残してくれる本に出会えた。第一部を最初に読んだ時は、思考の飛び方が腑に落ちないことが多々あったが、第二部のエピソードを読んでから再び第一部を読むと、主人公の人間性からだいたい納得できた。

 主人公の心の中に築いてきた地下室は、醜悪で屈折していて、下劣で独りよがりだが、ただただせせら笑うことができなかった。内容が違うだけで、自分も地下室を持ってることに変わりはないから。主人公に共感できてしまう部分もあったし、自分が主人公の地下室を醜悪だと思うのと同じように、他人からみた自分の地下室も醜悪な部分があると思う。

共感した部分の一部。
・理性が感情や欲求に勝てずに馬鹿げた行動をとるのが人間だ
・欲求に従うのは人間が物質的に扱われることへの抵抗である
・あまりに意識しすぎるのは病気だということ
・逆らえない性や運命がある、自然の法則がある
・理性で理解すればするほど、欲求との乖離を自覚してもがき、それ故に何を選択しても自分を苦しめる
・何か言い切ったくせにすぐに掌を返し、自分を守るために反対の主張をし始める
・自尊心は高いくせに自分を劣悪とみなしている矛盾、その他矛盾に満ちている内面

 1番共感したのは、誰かに復讐する場合の記述だった。直情型の人間は復讐を正義と盲信して行動するが、自意識が強い人間は正義を否定し様々に考えて醜悪さにまみれた挙句、行動する。そんなものは根源的理由などではないと分かっているにも関わらず感情に身を任せてみると、万事を承知の上でわれから自分を欺いたことで、自分で自分を軽蔑する結末になる。行動しない場合には、復讐の妄念に悩まされ続ける。

 絶望の中の快楽の話は、逆境で燃えるとか、追い込まれて頑張っている時の楽しさとか、頑張ったからこそ生じている痛みとかを考えたら、一部は分かるけど、一般化できるほどには共感できないし、嫌悪感9割といった感じだった。

 主人公の醜悪さを見て、自分だけの理論を持って、理解し難い価値観を持っている人間は、他にも腐るほどいるということに辟易するし、私もそういう部分を持っているから余計に嫌気が差す。

 思考か行動かについて、二極論を提示し、一方を貶して一方を崇めているが、考えて行動するのが最善だと思う。思考が完全であることなんてほとんどないんだから、ある一定値で妥協して、行動して、修正する、そう割り切るしかないよな、と。他にも二極論チックな部分が多くあって、その二択にしたくなる気持ちは分かるけど…と思いながら読んだ。

 主人公はひたすらに自分の有能さを語っているが、その根拠は全くないし、語られるエピソードは主人公の馬鹿げた行動を物語っている。この小説は、ドストエフスキーが主人公を軽蔑しているからこそ一種の安心をもって読むことが出来ると思う。 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月8日
読了日 : 2020年4月7日
本棚登録日 : 2020年4月7日

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