江戸の少年 (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社 (1994年10月13日発売)
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感想 : 7
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氏家幹人氏による、江戸時代の、主に少年少女についての考察。
 主に、と書いたのは本著後半、「悪少年の時代」辺りから少年少女というよりもう少し年長の、若者たちについての考察に移り、さらに「制度としての逸脱」に至るやまったくと言っていいほど少年少女の姿は見えないためである。

「花咲く娘たちの力」の章において、女児たちが芸事に精進し、屋敷奉公を目差すのは《玉の輿》に乗るためであったと氏家氏は云う。(P142)
しかし後々、芸事は武家の娘にまで広がっていく。
娘たちは芸を身につけ、武家屋敷に奉公に上がる。そこで礼儀作法を身につけた後、それなりの格のある家に嫁いでいくのである。
 氏家氏は紹介していないが、こうした娘たちの中には、嫁がずに《一生奉公》に就く者もいる。お勤めに精進するうちに婚期を逃してしまうのだ。そうなるとどこかの後添いになるか一生奉公か、二者択一を迫られるのである。

 さて、気になったのはこの章において紹介される、柳沢信鴻家に勤めた娘お捨の事である。
信鴻の屋敷には様々な娘たちが奉公に上がるべくその芸を武器に面接を受けに来る。それとは別に信鴻の目に止まって屋敷に上がった娘がお捨である。
お捨は芝居茶屋で見初められた(P159)とあるから、ここの娘かも知れぬ。明らかに武家の娘ではない。
そしてお捨は屋敷に上がって「伊達吉」と改名し、信鴻のお手つきを経て「都路」とまた名を改める。
これは他の娘たちの名が「藤」から「勝」へ、あるいは「市」が「石」に改められるのとは明らかに異なる源氏名ではあるまいか。
 氏家氏はこのお捨と、他の武家出身の娘たちを同列に見ておられるのだろうか。
私にはどうもそうは思えない。芝居茶屋の、恐らく水商売の娘と武家の娘には明らかに越えられぬ一線があろう。馬琴が娘たちに築紫琴は習わせても三味線は断固として反対したというのも(P148)それがためであろう。

 また、お捨に与えられた名がいかにも芸妓ふうであるのも気になる。
信鴻のお手つき後のお捨がどんな人生を歩いたか氏家氏は記さないが、いちいち「来潮」《初潮》だの「加恩」《お手つき》だの記されていることから、このお捨なる少女は最初からその目的で連れてこられてのではあるまいか。
お捨にしても、芝居茶屋で複数の相手をするよりもお大尽ひとりの寵愛を受けた方が幸せには違いない。
 だとすると、妾になるために屋敷入りする下層の娘と、行儀見習いのために屋敷勤めをする武家の娘との二重構造があったことになる。

 ともあれ、江戸時代がモースたちの云うように「子供の天国」でなかったことだけは確かである。

 そして私がどうしても気になって仕方がないのは「惜しみない虐待」という章名である。「惜しみない」とは「惜しむべきをあえてそうせずに」の意だと解するのだが、果たして虐待ということは惜しむべきものなのだろうか。「努力」「愛情を注ぐ」などが「惜しみない」に続く言葉だと思うのだが、どうだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2011年6月4日
読了日 : 2011年6月4日
本棚登録日 : 2011年5月22日

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