「バナナフィッシュ日和」で始まり「テディ」で終わる構成がまず良かった。グラース家の人たちの話はやっぱり知ってる人たち!とときめくけど、この本では「コネチカットのアンクル・ウィギリー」が好きだな。ただふたりが話しているだけなのに読ませられてしまうふしぎ。
グラース・サーガの長男シーモア・グラース-Seymour Glass-は”see more glass”でもあったのかという、サリンジャーならではの言葉遊びにちょっとテンション上がりました(バナナフィッシュ日和)
訳者あとがきを読んでようやくぴんときたのだけど、サリンジャーの小説がふしぎかつすごいのは、「物語」になる直前の「個人」がそこにいるからなんだなあ。
最後まで読んで「で、何?」と思うってことはわたしが無意識にその小説に「物語」を求めていたということで(だから何かを期待している)
でも実際期待したとおりの展開が起こることは実生活で考えたらそう無くて、そこにあるのはただ会話であったりその合間にあるちょっとした動作、中座であったり、そういうことが積み重なって一日が成り立ってるわけで、サリンジャーにはそこがよく見えていたのだろうなと思った。
結局「起こったこと」に対して何かを後付けで考えて物語にしていくのは読者の方の仕事なのかもしれない。
サリンジャーの書く会話はほんとにすごい。こんな「ありそう」且つ「なんか変」な会話を書ける人はいない。
すごく演劇的だし、見習いたいな〜と、勝手に思ったのだった。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2018年9月17日
- 読了日 : 2018年9月17日
- 本棚登録日 : 2018年7月8日
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