将棋の次は、囲碁の小説です。
本因坊秀哉の引退戦の観戦記がベースとなったストーリーなのですが、これ、実話?っていうくらい、病と対局の中で夢現する名人が、凄まじい。
「こんなにしてまで打たねばならないのか、いったい碁とはなんであろうかと、私は名人がいたましかった」
病のため、お互いの持ち時間を40時間(!?)と設定し、対局日も間を5日あけるという。
いや、私、将棋の2日制でも、よく集中力続くなー、しんどくないのかなー、と思ってたのに。
旅館缶詰めが月単位で続くって……。
碁に無知なのでこの対局について、いろいろネットを漁ってみたのですが、本因坊秀哉は世襲制最後の名人なのですね。
ここから、いわゆるタイトル称号としての名人に変わっていくのだということ。
そして、この対局で相手が封じ手の採用を求めて、その中での黒百二十一の「封じ手」の動揺が生まれたのか……というのも、ちょっと戦慄だな。
「この碁もおしまいです。大竹さんの封じ手で、だめにしちゃった。せっかく描いている絵に、墨を塗ったようなものです」
先に書いたレビューで、盤上から棋風や思想を見いだすことに触れたのだけど、それは邪道と言われてしまった(笑)
では、「碁そのものの三昧境」とは?
羽生先生の言う、行き過ぎてはいけない領域であり、藤井三冠は「無の境地」と記しているっけ。
勝負の決着までにある、深淵。
作品の名人の姿から、その淵を垣間見る思いがする。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2021年
- 感想投稿日 : 2021年9月20日
- 読了日 : 2021年9月20日
- 本棚登録日 : 2021年9月20日
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