数学を語るという行為において、もちろんいろんな着眼点はあると思うのだけど。
情的に語ると言うと、語弊があるような気もする。
私たちが生きることとの結び付け方が上手いな、と思う。
何より、これからも読みたいと思わせる力がある。
「連続的な多様体を生み出す概念の例の一つとして彼は、『色彩』を挙げる。『色彩』という概念について考えるとき、私たちは無意識のうちに、心のなかに様々な色を思い浮かべるだろう。それら色彩の全体は、ある空間的な『広がり』とともに、連続的なグラデーションをなす」
幼い頃にやったゲームでは、パラメータの色をRGBでグリグリと変えることが出来た。
「そういうもの」と思って使っていたけれど、何事も「そういう表し方」を思いついた祖がいるわけで、あらためて、ほう、と感じたことだった。
「いつの時代も人は、未知の事物を、手許にある概念に喩えて理解しようとしてきた。かつて人間の心は、蒸気機関の比喩で語られることもあった。現代の人工知能や人工知能の研究者は、『計算』という概念を頼りに、コンピュータのメタファで、知能や生命の謎に迫ろうとしている。だが、本当にこれが正しいメタファなのだろうかと、ブルックスはあらためて問うのだ」
「GPT-3は、ウェブな電子書籍から収集した何千億もの単語の統計的なパターンを学習して文章を作成していて、人間のように言葉を「理解」しながら作文をするわけではない。肝心なのは、意味よりもデータであり、理解よりも結果なのだ。こうした技術が目覚ましく進歩していくなかで、意味や仕組みを問わずとも、計算の結果さえ役に立つなら、それでいいではないかという風潮も広がってきている。
だが、意味や理解を伴うことのないまま、計算が現実に介入するとき、私たちは知らず知らずのうちに他律化していく」
二つの引用をしたが、疑うことも、思考停止に陥ることも、私たちにはどちらも「できる」。
ただし、結果的に人間は無能化してしまう、そんな結末もあるのかなと思う。
何も判断しなくても、生きていける世界。
それを、果たして、幸せと感じるのだろうか。
- 感想投稿日 : 2024年2月23日
- 読了日 : 2024年2月23日
- 本棚登録日 : 2024年2月23日
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