『冤罪と人類』というタイトルと西洋画の表紙から、かなり大きな内容なんだろうと思って読むと、紅林麻雄を中心とした〈二俣事件〉などの冤罪事件に関する経緯が前半〜中盤を占め。
それらを昇華した時に、サイコパスと恐怖心の欠如、自己欺瞞と間接互恵性と認知バイアスでこうした殺人事件や冤罪事件が起こるカラクリを理論化したのが後半少しといった所か。
正直、前半中盤にこれだけページ数を割く必要があったのかしら。
個人的には理論部が面白かったけれど、そもそもサイコパスが起こした殺人事件と、自らの名誉欲や保身のためにでっち上げた冤罪事件を、評判のための罪としてまとめることは可能か?と思う。
鬱病の人は、自己欺瞞の能力が低いと書いてある。
自分や世界のありのままの姿を直視するしか出来ないことは、どんなにか精神的に傷つけられることなのだろう。
知らず知らずに、自分は目や耳を逸らし、生きていくのに都合の良い現実を生み出している。
そうした都合の良さが、より権威的に、正義を象徴するまでになったのが冤罪ということか。
自分が見えなくした現実は、誰かを傷つけ貶めている。その可能性に、果たして自分は気付いているのだろうか、と考えると、堂々巡りしてしまうなぁ。
道徳的正しさを追求し過ぎることで、社会のバランスを崩し、恐慌を起こしてしまうという流れも考えさせられる。(果たして、正しさだけが純粋に原因たりえるかという検証は必要だが)
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2021年
- 感想投稿日 : 2021年7月18日
- 読了日 : 2021年7月18日
- 本棚登録日 : 2021年7月18日
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