「ふつうのおんなの子」とは。
取り立てて、ものすごい能力や才能がなくても、日々の暮らしを生きることと、誠実に向き合っている人のこと、なのかなと思う。
「『ふつうのおんなの子』は、権力•経済力•武力で動く社会を求めていません。こういったもので動く社会は望みません。現実はそのような力で動くようにできていることはわかっていても、大事なことは別のところにあるということを忘れず、少しでも変えていきたいのです。ところが、最近、そのような価値観で動くことが難しくなってきました」
「ふつうのおんなの子」は、必ずしも女の子であることを意味しない。男の子の中にも、それはあるものだという。
ただ。2018年にこれを書こうと思ったのは?
その憂鬱さとは、何がもたらしたのだろう?
私たちは多様性を尊重する社会に生きている。
色んなマイノリティが、それでいい、むしろ私たちはそれぞれ何らかのマイノリティだと思える時代になっている。
なのに、一方で、何かが憂鬱をもたらしている。
それは、何だろう?
本書を読んでいて、私はクシャナ型の女性を目指してきたことに気付いた。
男性に負けない力で統率する女性。
でも、ナウシカはそれとは違う。
「相手を違うものとして拒否せずに受け容れる」。
ぶつけ合うことから、受け容れ合うことへ。
けれど、それは、先へ先へと進む社会では、難しいことなのだと思う。
相手の声を聞き、自分の声を知り、その上で受け容れるということが成り立つから。
そこには、積極的な時間の静止、余白が必要なように思う。
あとがきの村上春樹の引用にも、あらためて、頷いた。
我々はシステムという強固な壁を前にした、卵だという、あの有名なスピーチ。
「もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません」
人工知能が人間を超えると言うが、人間というものを分かってもいないのに、何故そんな風に言えるのか?と問う中村さんの眼差しは、強くて温かい。
その目が、さまざまな児童文学の「ふつうのおんなの子」に向けられていく、楽しい本だった。
- 感想投稿日 : 2021年12月19日
- 読了日 : 2021年12月19日
- 本棚登録日 : 2021年12月19日
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