文章を読んでいる最中に、あ、これ『テロ』の作者だったのか、と気付く。
奇矯な作品を世に出しては、有名になってゆく写真家ゼバスティアン。
前半は、彼の独特な感性を作るに至った少年期と、ゼバスティアンと適当な距離を保つことの可能な女性ソフィアとの出会いが語られる。
のだが。
ある時、唐突にゼバスティアンは殺人鬼と化し、まずは読者に「彼は殺人鬼か、否か」の採決を委ねられる。
ここから、後半、ゼバスティアンを弁護するよう依頼されたビーグラーの登場で、一気に話が面白くなってゆく。
私は先に『テロ』を読んでしまっているのだけど、この問いかけに思わず息をのむ。
「テロリストがベルリンに核爆弾を仕掛けたと考えてみてください。それも、あと一時間で爆発する。テロリストの身柄は確保しているが、爆弾の所在がわからない。わたしは決断に迫られます。犯人を拷問してでも、四百万人の人命を救うべきか、手をこまねいて、なにもしないでいるべきか?」
「人命を救うための拷問」は是が非か。
ビーグラー弁護士の舞台を、まずは読んでいただきたい。(もっとも、ゼバスティアンのケースと、テロリストのケースと、十歳の女の子が誘拐されたケースをひとまとめにして良いかは疑問だけど)
さらに、個人的には著者のあとがき「日本の読者のみなさんへ」も読むべき。
「日本の僧侶、良寛(一七五八ー一八三一)は死の床で、介抱する尼僧にこんな句を遺したといわれています。
うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」
ドイツの作家さんから、良寛!?と、たまげた。
続き、読みたくなりませんか。
私は『犯罪』に戻っていきたいと思います。
- 感想投稿日 : 2019年2月3日
- 読了日 : 2019年2月3日
- 本棚登録日 : 2019年2月3日
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