戦争論〈上〉 (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2001年11月25日発売)
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感想 : 17
5

ミリタリー界隈ではよく名前が通っている戦術の大家クラウゼビッツだが、詳しい履歴は知らなかった。
日本語では名字の前の爵位や前置詞を省略してしまう誤記が多いので「クラウゼヴィッツ」で通っているが、実際は「フォン=クラウゼヴィッツ」と呼ぶべきだというのも本書の扉を開いたときに知った。その程度に何も知らない。

読み始めてすぐに、本書の内容はタイトルに反して単純に戦争に関するものだけではないと感じた。
著者の深い教養を感じさせ、研究者としての資質も本書の随所で感じられる。著者は18〜19世紀の人であるが、現代の科学・人文科学系の知識を理解しているかのような戦争・軍隊組織の考察や、それら優れた内容を論理的かつ系統的に記述していることから著者がたぐいまれな人物であったことがわかる。

下級士官として成果を上げた人物が階級の上昇とともに無能になっていく様の考察は現代の組織の中でも十分に通用するし、教育とそれを実際の場で運用(応用)することについての考察は生活の様々な場所で役に立つ内容であり、深く心に残った。
"実例を通して真理を実証しようとするならば、真理と関係する部分を正確かつ詳細に記述するか、不十分な記述しか出来ないのであれば実例の数を増やすしかない(pp. 238)" のような記述は今日の人文科学のみならず科学分野全般で非常に重要な、データの取り扱い方(というより、過去がいい加減に扱いすぎたから近年は統計を用いて厳しくしてるくらい)で、「本当に200年前の人か?」と思ってしまう。

また、1部1章はウクライナ戦争の趨勢にまるっきり当てはまる部分がいくつもあり、同時代人としてこの危機を端から見ている身としては、19世紀にこれほど明瞭に戦争論を考え、そして、その考えが現代の戦争にも適用できるということに大いに驚いた。
戦術の古典のつもりで読んでいたのだが、ただの古典ではなく"基本"であったようだ。

序文などによれば10年以上をかけて執筆したこの戦争論だが、絶筆に近い形であり、著者が亡くなる直前の時点でも加筆・修正する部分(1部1章以外はどれも未完)の注意書きを書き残していることから、この完成度でも気に入らなかったのかと驚かされる。
それと共に、50代で亡くなった著者が、10年、20年長く生きて本書を納得のいく形に練り上げた場合にはどうなったのだろうと思わされる。

1966年の訳ということもあり、訳者の序文の文語体が固く、一部意味がとりづらい部分もあったので中身を読むのが心配だった(上巻だけで500ページを超えるうえ、訳者が序文の中でフォン=クラウゼヴィッツの貴族っぽさを上手く表現できたことを誇っているのも心配だった)が、予想に反して中身の文は読みやすく、訳者の地の文が最も読みにくいという意外な結果になった。


<<ここまでが1部を読み切って感動と興奮で書いた部分>>


何度も筆を入れて書き直しているのは2部途中までなのだろうか。
3部に入る前後からは短い内容の章が多く羅列されるようになって、内容が掴みやすい反面中身が薄く、記述が練りきれていない(ややわかりにくい表現や記述が尽くされていないと感じる部分が散見される)ように感じる。

後半の戦闘に関する項目では、序盤の印象と一転して「古いなぁ」と思う箇所も多く見られる。
第一次大戦の100年前なので仕方がないが、会戦を戦闘の主要部分と位置づけているのは現代には適用できない古い考えだ。
また、(3部以降か?)兵站を軽視しているような記述も所々に見られ、これも"古さ"を感じさせる。糧食の確保についてはかなりのページを割いている(ここも中世の略奪と同じ方法も大きく載せており古い内容ではある)が、弾薬の補給についてはほぼ触れていないと言っていい。
ファン・クレフェルトの「補給戦」で述べられているが、近代以降の戦争は弾薬消費が飛躍的に増えていく傾向があり、やがて食料よりも弾薬の輸送量が問題になっていく。
いかにクラウゼヴィッツといえど、近代戦に頭を突っ込んだばかりのナポレオン戦争期の人では、その後の戦争の趨勢までは読み切れなかったか。

ただし、古いばかりでなく、他の書籍では触れられていないが納得できる内容もいくつもある。
中世や歴史小説などでよく見られる夜戦だが、近代以降有効ではなくなった(大きな戦争で戦果が見られない)ことを疑問に思っていたが、それに対する回答が明瞭に述べられていた。
また、行軍による消耗については多くのページを割いて強い調子で述べている。行軍で兵員が落伍していくことはイメージしていなかったのでかなり参考になった。
一度落伍してしまえば長期的な休みがなければ回復することはなく、兵員は減り続けるというのは理にかなっているし説明も明快でわかりやすい。
ナポレオンのロシア遠征についてもこの長距離の行軍の弊害を強調しており、物資輸送の失敗(というより最初から充分量が供給不能だった)とするファン・クレフェルトとは違った見方で面白い。


訳者は哲学者だが、巻末の解説はなかなか良くまとまっていたと思った。巻末の解説は再版時の文書なので序文のような読みにくさが無く、クラウゼヴィッツ前後の時代について把握できた。
特に世界大戦期までの、(クラウゼヴィッツが著書の中で何度も古い、無意味と否定していた)旧兵術の流行とクラウゼヴィッツの再評価の流れはよくわかった。


中断していたわけでもないのに、この上巻を読むのに半年くらいかかってしまったので、内容は面白かったのだがとても重く、下巻に行くのを躊躇している。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ミリタリー
感想投稿日 : 2024年2月17日
読了日 : 2022年12月26日
本棚登録日 : 2021年2月9日

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