<上下巻読了>
《平家の時代》と称した副題の下、平氏興隆を築いた正盛・忠盛・清盛三代を採り上げた歴史小説。
平氏贔屓一辺倒に偏るわけではなく、源平争乱期の小説にありがちな『軍記物』でもお涙頂戴系の『悲哀史』でもない。
現代人の感覚で半ば強引に歴史を紐解こうとする不躾さも感じられない。
歴史小説においてはしばしば、史実上の人物に対する著者の好悪が投影され易いものだが、それもここでは比較的中立な描写を心掛けているものと見受ける。(例外は信西くらい)
平家一門の為人(ひととなり)や朝家・延臣(藤原北家流・南家流)との絡みを丁寧に描きながらも、その隆盛や没落さえ、海の泡の如く、愛ある冷徹さで淡々と綴っている。
一方で、清盛の皇胤説の真偽や異母弟・頼盛への意外な厚遇、高階通憲(信西)への信望ぶりと死因の解釈の変更、後堀河天皇の出生に纏わる仮想設定に至るまで、作者ならではの筆も冴える。
国という河の流れ、歴史という大河に、浮き沈みする無数の命、野望、夢が、目映い煌めきとなって反射する。
作品の根底にある見地は、“国家の要は経済と流通の要衝を押さえること”という点に集約される。
貿易と、それを円滑に遂行する海上交通、海人や神人らの把握と折衝。
その視点に立った物語では、源平の争いや公武の衝突さえも表面的な瑣末事に過ぎず、富が通る『宝の道』に通じた者こそが政の中枢を握るのだと、複数の人物を通して力説される。
具体的な庄領の検証を傍証に、受領出身の面々が握る経済力が、政治の肝を押さえていると繰り返し説かれると、歴史の授業で陥り易い『通史=政治史』の観点の危うさに気づかされる。
政治的事項が引き起こされる前提には、萌芽となる経済的動きがあり、それを見過ごしては歴史の通暁は難しいのではないだろうか。
永井路子女史の評論にも見られる、八条院暲子や上西門院統子ら女院の所有する富への注目も手厚い。
最後を締める西園寺公経・実氏の父子に、清盛を超える羽振りの良さを示して物語は収束する。
正盛の妻・真砂や、生い立ちを検めた祇園女御など、市井を体感した上で登り詰めた女性達の生命感や深淵さ、奥深さが魅力的であることも評価を高める要素である。
- 感想投稿日 : 2014年12月30日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2014年12月30日
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