人間にとって寿命とはなにか (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店 (2016年1月10日発売)
3.28
  • (3)
  • (10)
  • (6)
  • (3)
  • (3)
本棚登録 : 139
感想 : 14
2

 ナマコの生物学を専門とする著者が、ナマコ研究から考える生物多様性の大切さ、「私」という存在、エネルギーと時間の関係から考える教育と老いの生き方について持論を展開した新書。

 「私」という存在を遺伝子の観点から捉えるというのは、私にとって新しい考え方だった。両親や子を、父母の私、子の私、孫の私として捉えていく遺伝子生物学的な「私」の捉え方。確かにこれを通常の認識として持てたなら、少子化や虐待などという問題は起こりえないだろう。ただし、落とし穴もありそうな気もする。子を「子の私」として捉えるのは、認識の仕方を間違えれば子は所有物となり、支配の対象となってしまう。もちろん、正しい意味での「子の私」という認識であるならば、子は所有物ではなく「子の私」という一つの人格であり、支配の対象ではなく自己を尊重するのと同じように子を尊重しなければならない。しかし狭い利己主義にとらわれたまま「子の私」という言葉だけが独り歩きしてしまうと、結局は子どもの人格が失われてしまう。そもそもこれを提唱している著者の妻の「子は作品」という言葉が腑に落ちない。著者はこれを「子は私」と同義として捉えているようだが、何だか私にはこの二つの間には大きな隔たりがありように感じる。「私」というのは思うままになりそうでならない、全てわかりそうでわからない存在であるから、「子は私」という捉え方には子の人格を許容できる余地がある。しかし「作品」は作り出す者が絶対的な力を持ち、かつ所有者である。「子は作品」には子の人格すらも自分が作り出した所有物として捉えているような気がして私には受け入れがたい考えだ。
 また、情報化、効率化、機械化、一言では表現できないほどの形と変化を内包する現代社会に対する「スローライフ・非効率のすすめ」は、その効用は理解できるが実践は難しい。現代社会の情報スピードは想像を絶するし、我々若い世代はその渦の早さに無関心でもいられない。本書の著者より斎藤孝氏の方が時代に合った考えだなと、まだ若輩者の私は思ってしまった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新書
感想投稿日 : 2017年3月4日
読了日 : 2017年3月1日
本棚登録日 : 2017年3月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする