「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機

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  • ダイヤモンド社 (2013年8月23日発売)
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見えにくいから、見ようとする。聴こえにくいから、聴こうとする。分からないから、考える。自ら取る行動のひとつだったとは。そんな一歩の無い、ものすごくスムーズで分かりやすくするテレビ・メディア。メディア。悲劇も喜劇も日常。

163頁〜引用、
ベトナム戦争において米軍が敗退した最大の理由は、国内外に高まる反戦の世相に抗しきれなくなったからだ。そのきっかけの一つは、そもそもの戦争介入が米軍の謀略によって始まったことを暴くペンタゴン・ペッパーズの存在やソンミ村事件などの実態を、メディアがスクープしたからだ。

ところが存在しない大量破壊兵器を大義として始まったイラク戦争に対しては、なぜか世相に火がつかない。こうぞうはべとなむせんそうとほぼ同じなのに、イラク戦争に対しては、メディアを、受容する人たちの意識が喚起されない。

その理由の一つは、メディアの質の変化にあると僕は考えている。ベトナム戦争の時代の戦争報道の主流はスティール写真だった。一秒の何百分の一。しかもモノクロがほとんどだ。つまり欠陥したメディア。ところが今の戦争報道の主流はビデオ。情報量はスティール写真とは比べものにならないくらいに増大したのに、人の心は喚起されない。揺り動かされない。(中略)表現の本質は欠陥にある。
メディアは徹頭徹尾足し算だ。

310頁
かけてもいい、国家に救われた命より殺された命のほうがはるかに多い

316頁
透明人間にペンキをかければそのアウトラインは浮かび上がる。国家とはそのようなものだ。実体はない。でも前提するからには実体があると信じなければならない。だから色とりどりのペンキをかけて、法令や政治や統治や憲法や人権や刑罰や軍隊や税金などの輪郭を浮かび上がらせねばならない。
前提でありファンタジーでもあるのだから、その内実は「思われる」ことによって具体化する。

317頁
私にとって国というのは、そこに暮らす人たちのできるだけ多数の幸福を実現するためのしすてむであってほしいと思っています。たとえるなら国はマンションの管理組合、政治家は管理組合の理事のようなものです。人は何かに帰属しないと生きていけないとしても、マンションの管理組合に帰属することで自己のアイデンティティを確立する人などいないはずです。乱暴かもしれませんが、国なんて本来その程度のものなのではないかなと思わなくもないです。

350頁
殺されるかもしれないとの恐怖はすさまじい。そして殺すときの良心の負荷もすさまじい。心を壊さないことには殺せない。そもそも語りたくないことに加え、壊れているから記憶が定着しない。だから語りたくても語れない。なぜ人が人に対してこれほどに残虐なことができるのか。その理由がどうしてもわからない。
こうして加害の記憶は途絶え、被害ばかりが語り継がれる。だから戦争の実相がわからない。加害の記憶を思い出さないことには、憎悪と報復の連鎖は止まらない。

351頁
「もしもまた同じような状況になったら絵鳩さんはどうしますか」との質問に対して、ゆっくりとマイクを手にした絵鳩は、「私はまた、同じようにするでしょう」と言った。
「皆さんもそうです。それが戦争です」
辛そうだった。苦しそうだった。でも絵鳩はごまかさない。決して隠さない。…

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感想投稿日 : 2015年9月30日
読了日 : 2015年10月7日
本棚登録日 : 2015年9月30日

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