新しい須賀敦子

制作 : 湯川豊 
  • 集英社 (2015年12月4日発売)
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本棚登録 : 111
感想 : 5

一昨年秋に神奈川近代文学館で「須賀敦子の世界展」が開催されましたが、私は終わってから知って、とても残念な思いをしました。
この文学展に付随するようなかたちで対談や講演がホールで行われ、その記録を加筆修正、さらにすばるでの対談および新稿を加えたのが、この本です。

すべて興味深く読んだのですが、今回とても面白かったのは須賀さんが活躍された当時新潮社で編集者だった松家仁之さんのお話。
私が須賀さんの本を読み始めたのは4年前なんですが、その14年前に彼女は亡くなっていて、「ミラノ霧の風景」が刊行された、それよりさらに7年前の彼女を私が知るはずもありません。

当時の様子を、編集者8年目の目線から松家さんが語ってくださった、それがまず面白かったです。
そしていままで見たことなかった、須賀敦子さんが友人にあてた手紙の内容を引用して解説してくださいます。
今の自分の心にのこったいくつかをメモ。

あるアメリカの建築家についてイタリアの評論家が書いたものを訳す仕事をした須賀さん。彼女は建築についても詳しいのです。
「こんなものをする気はないけれどたのまれたので仕方なくやってしまった。
ずいぶんあたりまえのことを言うのに難しい言い方をする人がいるのだなァ、これはやっぱりデカダンスではないかと言う気がしました。古典の簡潔さを求めること、簡潔な文章を書くことの勇気を持ちつづけたいと思いました。」

1977年頃の手紙。SPAZIOで「イタリアの詩人たち」の連載を始めた頃。エマウスをやめた二年後です。
「もう私の恋は終わりました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り。一寸淋しいきもちだけど、しずかで明るいかんじも戻ってきました。今はふうふう言って本読んだりしています。」
須賀さんが恋をしていたなんて、知らなかった。亡くなったペッピーノ一筋だったのだと思っていました。そしてそのあと頑張って本を読んでいる。私もいろいろ心が苦しい時あれこれ一人で考えるよりやっぱり本を読もうって改めて思いました。

続いて湯川豊さんの「新しい須賀敦子」五つの素描から。
「まがり角の本」の冒頭で、須賀さんは書く。少女時代に読んだ『ケティー物語』がそれです。
《自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめりこむ。その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう。》
以下湯川氏。「とりかこむ現実に自信がないのは、本を読む読まないとはかかわりなく、『若さ』につきまとうことである。『その子自身がほとんど本になってしまう』ことで、現実に向かいあって生きる力が生まれる。それが本を読む少女がもっていた才能だった。」

彼女はエマウスの活動(廃品回収ボランティア)を4年ちかく頑張ったあと、責任者を退く。
それは、狂おしいといっていいほどの速度と体力を必要とした仕事だった。いまになって思えば、数多い自分の試行錯誤のひとつにすぎなかったのではあるが。とにかく全力を注ぐ対象ではあった。そして次のように言葉をつづける。
《…あの精力と、当時、じぶんが愛情と信じていたものとを文章を書くことに用いていたら。そう考えることが、稀ではあっても、たしかにある。時間が満ちていなかった。いや裸なじぶんに向かいあうのを、避けていたのかもしれない。》
彼女もずっと悩みながら、でもその地位にいるあいだは頑張って活動していたのだと思ったのです。

今、この本を読むことができて、良かった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 須賀・神谷・渡辺
感想投稿日 : 2018年3月27日
読了日 : 2016年1月7日
本棚登録日 : 2016年1月7日

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