暴論・これでいいのだ!

  • 扶桑社 (2004年11月1日発売)
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感想 : 4

言い訳から始めます。私は今回、書評(これだって書評です)を書きません。(註:この文章を書いた2006年の)12月19日号の「SPA!」に載った坪内祐三さんと福田和也さんの対談に腹が立ったので、この枠組を利用して批判します。

御二人は、このたび文化功労者に選ばれて御満悦の丸谷才一さんをあさましく思ったようです。

「そんなに勲章ってほしいものなのかねえ」

この意見は分かります。高慢な老大家には我慢ならないのでしょう。問題はその次です。

「昭和天皇の悪口書いたり、天皇嫌いだって言ってた人が、勲章もらって嬉しいってのは、おかしいよね」

悪口? 嫌い? これでは丸谷さんは「天皇嫌いなのに勲章ほしがる奴」というレッテルを貼られてしまいます。丸谷さんの天皇観はそうではありません。

丸谷さんは、山崎正和さんとの対談集『半日の客 一夜の友』の「あけぼのすぎの歌会始」でこんな発言をしています。(昭和62年の対談です)

「いまの天皇は、昭和二十年まではずいぶんかわいそうな人でしたね」
「(昭和天皇の和歌について)大正天皇とはまた一味ちがう伝統性という感じがしますね。色っぽい感じはないけれど。僕は、なかなかの才能だと思います」

『猫だつて夢を見る』の「やんごとない名つけ」ではどうでしょうか。

「戦争に敗けて、雲井の上についていろんなことがあけすけに言はれるやうになつてから、日本人は何度かショックを受けた。(略)しかしわたしは、たいていの情報に接しても、別に何とも思はなかつた。大喜びもしなければ、悲憤慷慨することもなく、まことに平然たるものであつた」

いや、それよりも『後鳥羽院』があります。あの本は八百年前の帝に対する明晰な恋文ですし、『新々百人一首』でも伏見院や順徳院の至尊調をほめそやしていました。何十年も前から大正天皇の和歌を評価していた人です。

権力者を憎むのはいい。傲慢の牙をへし折るのもいい。しかし文学をねじ曲げてはなりません。それは言葉への冒涜です。
私は天皇崇拝者ではありませんが、丸谷さんの天皇論には結構つき合ってきました。丸谷さんは単純な天皇制反対論者ではありません。御二人はもっと細部を見て批評を行って下さい。釈迦に説法かもしれませんが、神は細部に宿るのです。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: ノート
感想投稿日 : 2011年9月16日
本棚登録日 : 2006年12月13日

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