最初に強く主張したいのだが本書は名著である。
東北学院大学の学生たちがゼミ教官である編者の指導の下、東北の震災から5年を経た街で行ったフィールドワークの記録。
福島第一原発周辺の避難地域で繁殖する野生動物を「駆除」する猟友会。
作業が追い付かず震災直後に土葬せざるを得なったご遺体の掘り起こしと再火葬を続ける葬祭業者。
津波で遺骨ごと流されてしまった先祖の墓と慰霊碑との関係をめぐる葛藤。
当然ながら日本人の伝統的な死生観が様々な形で問い直される。
印象に残るのは、震災から5年、という月日が流れることで被災地の人々の考え方が移り変わり、整理されていく過程だ。例えば津波によって流された船、市庁舎などのいわゆる「震災遺構」保存についての町民の意見(記録として残すべき、つらい思い出だから壊すべき)にも変化がみられる。
速報性に踊らされて無責任なことをいくらでも発信できてしまう現代において、そしてそういうことに無自覚な人ほど「あいつはX年前にああ言ったこう言った、証拠見つけた」とあげつらいがちな中で、「これほど辛い思いをしても考え方は時間とともにかわるのだ」ということを知るだけでも価値がある。
おそらく各方面で引用され、また強い印象を残すのはタクシードライバーたちが語る「幽霊現象」だろう。震災後、多くの運転手たちが「季節外れの厚着」をしたお客さんを乗せ、他愛のない会話の後後ろ座席を見ると誰も乗っていない、という経験をしたという。それらは淡々と無賃乗車記録として残されている。
著者(学生)は、これらについて一切のオカルト的な印象論を排し、タクシーという密室の特性、そこでの会話が思わぬ癒しとなる可能性(カウンセリング的文脈)、あるいは認知科学の知見も援用しながら「無念の死を遂げた人の思いや記憶を何らかの形で届けたい、継承したい」というまさに「弔い」の感情の根源について考察していく。
やっと復興に目が向き始めた時期にあえて過去の記憶を繰り返し尋ねて回るフィールドワークは学生たちにとっても大変なチャレンジだったようだ。その多くが被災者であり、また遺族でもあるゼミ生自身によるあとがきは、それ自体深い感動に満ちている。
読んでいて辛いが、読後により大きな温かさを感じる本。これを送り出してくれた先生と学生たちにはお礼を言いたい。
- 感想投稿日 : 2019年1月2日
- 読了日 : 2019年1月2日
- 本棚登録日 : 2019年1月1日
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