「日本人はヤンキーが好き」。このことを最初に指摘したのは、故ナンシー関さんだ。著者もナンシーさんのエッセイに影響を受けたと明かしている。
「私はつねづね『銀蠅的なものを求める人は、どんな世の中になろうとも必ず一定数いる』と思ってきた。そして、その一定数はかなり多いとも思う。」
ナンシーさんの数ある名コラムの中でも、この「銀蠅的なもの」は屈指のインパクトだった。(ああ、ナンシーさんの不在があらためて悲しい。たまにテレビを見ると「ナンシーさんがいたら…」とつい思う。そう思うのは私だけではないはず)
「ヤンキー」の何に人はひかれるのか?「引きこもり」の研究・支援で知られる精神分析医の著者は、自らも認めるとおり「オタク寄り」で、「ヤンキー的なもの」とはまあ対極にあるはずの人だ。大体研究者とか本を書いたり読んだりする人たちは大なり小なりオタク的で、だからこそオタクに関しては山ほどの論考があるのに、ことヤンキーについてはあまり目にすることがない。本書はそういう意味でとても新鮮だ。
ヤンキーについて語るとき、横浜銀蠅とか亀田兄弟とか義家センセイなんかが出て来るのは至極当然で、最も洗練されたかたちとしてのキムタクっていうのもわかる。すごいのはその先で、何とあの白州次郎のヤンキー性(!)とか、村上春樹とアメリカ、丸山真男と古事記、などなど、まあ実に多方面からヤンキーを好む日本人の心性に迫ろうとしている。
もっと説明してほしかったり、ちょっと強引で説得力に欠けるように思うところもあるけれど、なるほどなあという指摘も随所にあって面白く読んだ。
真ん中あたりまで読んで「ああ、橋下人気もこの流れで説明することもできるなあ」と思っていたら、やはり最後に出てきた。彼は攻撃的な反知性主義をまったく隠そうとしないが、まさにその点がうけてるんだろう。あらためてがっくりする。
「あとがき」の次のような記述にはまったく考えさせられる。
「青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と『伝統』を大切にする保守として成熟してゆくのである。われわれは、まったく無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手にしていたのである」
「ヤンキー文化には二面性がつきまとう。逸脱と適応、バッドセンスと創造性、犯罪と治安、破壊と復興、などなど」
著者の言うとおり、確かにまだまだ語ることはありそうだ。
- 感想投稿日 : 2013年2月25日
- 読了日 : 2013年2月25日
- 本棚登録日 : 2013年2月25日
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