トットひとり

著者 :
  • 新潮社 (2015年4月28日発売)
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本棚登録 : 519
感想 : 71
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最初のエピソードが「ザ・ベストテン」で、懐かしさに悶絶。あの番組抜きに昭和の「歌謡曲史」って語れないだろうなあ。そしてあのワクワク感や信頼感は、黒柳さんと久米さんの司会コンビがあってこそのものだったんだなあと今更ながらに思う。

この冒頭の章は「私の遅れてきた青春について」というタイトルで、2013年に亡くなった、「ザ・ベストテン」のプロデューサーだった山田修爾さんの思い出が綴られている。この後の章も、ほとんどが既に鬼籍に入った懐かしい人たちを偲ぶ内容となっている。
親交のあった向田邦子さん、芸能界での「母」沢村貞子さん、「兄」渥美清さん、森繁久弥さん、賀原夏子さん…、どのエピソードも故人の人となりを生き生きと伝えるものばかりで、非常にひきつけられて読んだ。

特に強い印象を受けたのが、沢村貞子さんの生き方と死の迎え方だ。その人生については何かで読んだことがあったと思うが、身内のように親しんでいた著者が語る姿は圧巻の潔さで、こういう人もいるのだと胸をつかれる。

著者が既に八十代であるとはちょっと信じがたい気がする。大事にしてきた人たちは次々に亡くなり、タイトルの通り「ひとり」取り残されているという寂寥感が全体を流れていて、切ない。九十歳をこえた佐藤愛子先生が「長生きをするとは、話の通じる友人が誰もいなくなること」と書かれているが、ここにもよく似た寂しさがある。私にとっての黒柳さんはいつまでも「ザ・ベストテン」のタマネギおばさんのままで、時折テレビで見る姿もあんまり変わっていないように見えるのだけれど。

とは言え、本書はジメジメした感じのものではない。かつて大ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」を読んだときも思ったが、黒柳さんの文章ってほんとに湿り気がなくて、芸能人臭が皆無だ。テレビでのおしゃべりとはまた別の魅力がある。

青森に疎開していたとき、汽車を待つ駅で隣り合わせた行商のおばさんが、シラミだらけの小さな女の子だった黒柳さんを気の毒がって、凍えた手を一生懸命さすってくれたそうだ。そのおばさんの手も「ヒビとシモヤケと黒い絆創膏でぐちゃぐちゃだったのに。それでも親切にしてくれようとする人を、あの頃、沢山見てきた」
疎開する前、「スルメの足を一本くれるというのに惹かれて」出征する兵隊さんに日の丸を振り万歳を言いに行ったことが、ずっと心の傷になっている、と書かれている。あの兵隊さんのうち何人が無事に帰ってきたのだろうか、と。華やかな世界に身を置いても、こうしたことを忘れなかったのが著者の強い芯になっているのだろう。

ヴァイオリニストを父に持つ山の手のお嬢さんが天真爛漫なままで大人になった、というイメージをずっと持ってきたが、これを読んだだけでも様々な苦労があったのだとわかる。著者はそれを声高に語らない。大きな美点の一つである楽天性で、くよくよせずに歩んできた人生は、愛し愛された人との思い出でいっぱいなのだろう。希有な人だと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ・紀行・回想
感想投稿日 : 2015年8月4日
読了日 : 2015年8月4日
本棚登録日 : 2015年8月4日

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コメント 2件

薔薇★魑魅魍魎さんのコメント
2015/08/04

ご無沙汰です。この本、持っていますがまだ未読です。

本当に彼女の生き方も文章も魅力的で私もとても魅かれます。

いつもお前は幾つだ三十は鯖読んでるなといわれるんですが、たまたま私は記録媒体で「バス通り裏」や「若い季節」や「魔法の絨毯」や「1丁目1番地」や「夜の仲間」などを幼いころから見たり聞いたりしていて、黒柳徹子はとても身近な存在なのです。

立て板に水の彼女が、入れ歯のせいで活舌がわるくなったのが無念でしかたありません。

たまもひさんのコメント
2015/08/04

コメントありがとうございます。
いつもタイムラインでお名前を見ているので、言われてみればご無沙汰しているかも、という感じです。

「バス通り裏」「若い季節」はタイトルのみ知ってますが、「魔法の絨毯」?「夜の仲間」? 私のほうが絶対年上だと思うんですけどねえ。
オマケに、幼いころから? どういう環境で育たれたのか興味津々です。

あの早口で、あの聞き取りやすさ、きれいな言葉遣い、まったくすごい人ですね。

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