最初のエピソードが「ザ・ベストテン」で、懐かしさに悶絶。あの番組抜きに昭和の「歌謡曲史」って語れないだろうなあ。そしてあのワクワク感や信頼感は、黒柳さんと久米さんの司会コンビがあってこそのものだったんだなあと今更ながらに思う。
この冒頭の章は「私の遅れてきた青春について」というタイトルで、2013年に亡くなった、「ザ・ベストテン」のプロデューサーだった山田修爾さんの思い出が綴られている。この後の章も、ほとんどが既に鬼籍に入った懐かしい人たちを偲ぶ内容となっている。
親交のあった向田邦子さん、芸能界での「母」沢村貞子さん、「兄」渥美清さん、森繁久弥さん、賀原夏子さん…、どのエピソードも故人の人となりを生き生きと伝えるものばかりで、非常にひきつけられて読んだ。
特に強い印象を受けたのが、沢村貞子さんの生き方と死の迎え方だ。その人生については何かで読んだことがあったと思うが、身内のように親しんでいた著者が語る姿は圧巻の潔さで、こういう人もいるのだと胸をつかれる。
著者が既に八十代であるとはちょっと信じがたい気がする。大事にしてきた人たちは次々に亡くなり、タイトルの通り「ひとり」取り残されているという寂寥感が全体を流れていて、切ない。九十歳をこえた佐藤愛子先生が「長生きをするとは、話の通じる友人が誰もいなくなること」と書かれているが、ここにもよく似た寂しさがある。私にとっての黒柳さんはいつまでも「ザ・ベストテン」のタマネギおばさんのままで、時折テレビで見る姿もあんまり変わっていないように見えるのだけれど。
とは言え、本書はジメジメした感じのものではない。かつて大ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」を読んだときも思ったが、黒柳さんの文章ってほんとに湿り気がなくて、芸能人臭が皆無だ。テレビでのおしゃべりとはまた別の魅力がある。
青森に疎開していたとき、汽車を待つ駅で隣り合わせた行商のおばさんが、シラミだらけの小さな女の子だった黒柳さんを気の毒がって、凍えた手を一生懸命さすってくれたそうだ。そのおばさんの手も「ヒビとシモヤケと黒い絆創膏でぐちゃぐちゃだったのに。それでも親切にしてくれようとする人を、あの頃、沢山見てきた」
疎開する前、「スルメの足を一本くれるというのに惹かれて」出征する兵隊さんに日の丸を振り万歳を言いに行ったことが、ずっと心の傷になっている、と書かれている。あの兵隊さんのうち何人が無事に帰ってきたのだろうか、と。華やかな世界に身を置いても、こうしたことを忘れなかったのが著者の強い芯になっているのだろう。
ヴァイオリニストを父に持つ山の手のお嬢さんが天真爛漫なままで大人になった、というイメージをずっと持ってきたが、これを読んだだけでも様々な苦労があったのだとわかる。著者はそれを声高に語らない。大きな美点の一つである楽天性で、くよくよせずに歩んできた人生は、愛し愛された人との思い出でいっぱいなのだろう。希有な人だと思う。
- 感想投稿日 : 2015年8月4日
- 読了日 : 2015年8月4日
- 本棚登録日 : 2015年8月4日
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