釈先生のお話は明快で、それでいてほんわかと優しい。その語り口で「仏さん」のことを聞こうと思って手に取ったら、前半の「神さん」についてのお話が面白いのなんの。あんまり考えたことのなかった「神道」だが、そうだったのか!ということが次から次へと語られて、目からウロコが落ちました。
本書を読むと、多くの日本人の宗教性というのは、根っこの方に「神さん」がいて、それと渾然一体となりどちらがどうとも分かちがたく「仏さん」がいる、というふうに形作られているのだなあと、つくづく感じる。「神仏習合」なんて、およそばかげたものだと思ってきたが、いやいやこれぞまさに日本的宗教性の究極の形かもしれないなどと、いきなり宗旨替えしたりして。
釈先生の本を読んで少し理解した限りでは、仏教では、己の苦しみを自らを変えることによって克服せよと教える。この世への執着を断ち切り、弱さ故の苦しみから出でよ、と。これに対して、「神さん」は時代時代で移り変わる人々の願いを常に受け止めるものであった。人間がその弱さ故に何かに頼ろうとしたとき、木であれ石であれ、そこにあるのが「神」である。なるほどねえ、そこが「創唱者」がおり「教義」があり「信仰の対象」のある仏教とは大きく違う。
また、仏道を志すことは基本的に個人の内面の問題であるが、「神さん」は常に共同体とともにある。多くの人は無意識にその両方の領域を行き来し、この世とは別の、より次元の高い世界に漠然とした敬意や畏れをを抱いているのではないだろうか。
高島先生が、自分にとって「神」とは何かと尋ねられて、子育てしたときの思いから答えておられたのが印象深かった。親は子の幸せを願う。辛いこと悲しいことに出遭わないようにしてやりたいと思う。しかし不幸に遭わない子供などいないし、乗り越える力にも限界がある。その先に一人一人にとっての神の存在を想定するしかないのかなと思う、と。これはしみじみ実感として胸にしみた。
- 感想投稿日 : 2013年1月16日
- 読了日 : 2013年1月16日
- 本棚登録日 : 2013年1月16日
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