今思えば私は、子どもの頃から短歌には興味があったんだと思う。最初に覚えたのは、菅原道真か崇徳院のものだったか?
(覚えたきっかけは『いちご新聞』や『はいからさんが通る』ではあったが・・。)
短歌はふとした時、心にそっと寄り添って、自分ですら言葉にできない思いを気づかせてくれることが度々ある。
いつからか、新聞の『折々の歌』や毎週月曜日の短歌のページには目を通すようになっていた。
その選者である永田和宏氏(講評が特に好き!)を先に知ったのか、河野裕子氏を先に知ったのか今では思い出せないが、恐らく彼女の闘病が語られるようになってからは、双方ともに注目するようになった。
新聞にも特集が載り、TVでも取り上げられ症状も思わしくない様子が淡々と語られていた。
その河野氏の最期の一首。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
永田氏の口述筆記によるものという。
また、永田氏も彼女が亡くなる前に妻亡き後の日々を思って読んだ。
歌は遺こり歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
詳しく知らなかった私は、長く連れ添った夫婦の間に流れる2人の時間が、歌人としてお互いを尊び、穏やかに労わりあうものだと安易に考えていた。
しかし本書を読めば、それはものを作らぬ自分の、勝手な想像でしかなかったことがわかる。名人と呼ばれる人は様々な経験を経て、無心でものに相対するような枯れた味わいを持っているのではないかと都合よく思い描くのと似ていた。
河野氏が乳がんの診断を受け亡くなるまでの10年間の闘病生活を夫・永田氏の回想と短歌によって語られていく。
ものを作らず、物書きでもない私には想像つかない日常。診断を受けたその日、衝撃を受け打ちのめされた自分を客観視する自分がいて、それを歌に詠む。
先に夫がその状況を知り、本人は淡々としているつもりでも、普段との様子の違いからすべてを悟ったと詠んでいる。
また、手術は成功を収めながらも再発の不安を抱え、家族との均衡が崩れていくことにナーバスになっていき、また、睡眠薬の副作用か、精神のバランスも破たんをきたしていく。
それでも、読む。ときに前後不覚に見えても、どこか冴え冴えとし自分を客観視して。
辛く哀しいきっかけさえも歌に化学変化をもたらし、歌は至高に向かって研ぎ澄まされていく。
もちろん永田氏の歌も、妻の闘病の中で、自らの弱さをさらけ出し、変化を余儀なくされる。
創作する人、アーティストはどれほど身を削って、傷跡から赤い血が流れ出しても止めもせずつくり続けるのか?
誰にも止めることはできず、むしろそうすることでしか生きていかれない。
我々から見たら、破たんとしか思えないほどだ。
今までゴッホや太宰に対して特別だと思っていたことが、当然のことのように思われる。
それほどに、辛く厳しい作業が何か自分を奮い立たせ、人には見えない景色を見せてくれることを彼らは知っているに違いない。
河野氏と、やはり歌人の息子・淳さんや娘・紅さんと関係についても書かれており、この10年間の家族の記録にもなっている。
読み始めたら、本を閉じるのが惜しくて、一気に読んだ。短歌に興味がなくても、一家で病と闘った記録として読むこともできるだろう。それでも、知ってほしい。
歌人・河野裕子を。
いや、読めば気にならないはずはないか・・・。
- 感想投稿日 : 2015年1月25日
- 読了日 : 2015年1月25日
- 本棚登録日 : 2015年1月25日
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