木津砦の攻防は続く。
その中で、村上海賊の娘・景は戦いにまみえようとしたものの、戦での活躍に甘やかな感傷を抱いていることを眞鍋海賊の猛者・七五三兵衛に見抜かれ、瀬戸内に戻る。
しかしながら、自分以外の何ものかのために戦う、門徒留吉たちのために戦場へと戻っていくのであった。
泉州の海賊の価値観は「面白(おもしゃ)い奴ら」であることが最上位のようだ。真面目すぎたり、策を練ることや武器に頼る戦いを優先する者たちを、蔑んでいるところがある。
戦いは、自分のために、持てる力をすべて出し切るような個と個の対決を尊ぶ。
また、瀬戸内の海賊や毛利家の者たちは自家の存続のために戦う。
いずれにせよ、センチメンタルの入り込む余地はない。
しかし、景は、自分を認めさせるような功を得たいと願っており、泥臭さのかけらもない。
その景が門徒たちの姿に心打たれて参戦するさまは、ドラマなら見どころとなるだろう。
ここまで読んできて、ようやく思い至る。
この時代、戦とは自分のまたは自分を含む家のために行うものであって、思想のため、国のためという戦争とは異なっている。
だからこそ、あっけらかんとしていて、感傷を嫌うのであったのか・・・?
戦場には血が溢れ、身体を切断する描写が多い。泥臭くてうんざりする。
しかし、これこそが戦国時代なのだろう。
かえって、留吉や源爺のような自分のためでなく、ひとのために戦うという考え方の方が、何ものかが人を戦いに駆り出してしまうということが危険に思えてならない。
そして、ようやく、最後のページまでたどり着いた。
私にとっては、なかなか大変な作品だった。
でも、次の言葉に出会えて、読むのをやめなくてよかったと思った。
いずれの人物たちも、遁れたい自らの性根を受け容れ、誰はばかることなく生きたように思えてならない。そして結果は様々あれど、思うさまに生きて、死んだのだ。(P499)
『思うさまに生きる』
いかに難しく、いかに自由なことか。
苦しんで登った山頂で見ることのできた景色のようだ。
心に留めておきたい。
- 感想投稿日 : 2014年8月21日
- 読了日 : 2014年8月20日
- 本棚登録日 : 2014年8月21日
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