ナチスの犯罪を思い出すたび「ユダヤ人」という世界史の主体が、とても色濃く感じられる。でも、その主体は、現在に続く「帝国」間の緊張の中で、いまだに荒っぽいやり方で利用されてもいる。
アメリカとイスラムの関係も、対「ユダヤ人」との関係から導かれるものとして、脱宗教的に説明できる。「民族問題」、宗教や思想の対立も終局、政治的な問題の中に集約されていく。
政治で解決することを願ったサイードの言いたいことは、そんなことかもしれない。
サイードのように、多様性を重んじる文化に生きるとは、さまざまなことを政治的に解決できると信じ続けることなのだろう。
文化そのものを論じて行き着くのは、「互いに違う」ということを認めることだけ。そこから先をどうするかというのは、やはり政治の問題になる。
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カテゴリ:
世界史
- 感想投稿日 : 2012年5月2日
- 本棚登録日 : 2012年5月2日
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