学校で、愛着障害じゃないかと疑われる子がいて、
先日その子が廊下で、ものすごい勢いで女の子を追いかけていたものだから、
「やめなさい」
と前に立ちはだかったら、見事わたしと激突。
ブチ切れられる。
わたしの腕に殴りかかり、
「ふざけんなよお前。お前なんか教員に向いてねーんだよ。教員辞めろよ。お前みたいなのが舐められんだよ。誰もお前の言うことなんか聞いてねーんだよ。クラス全員お前の言うことなんか聞いてねえじゃねえか。全員に舐められてるからだろうが。むいてねーんだよ。やめちまえ!」
というようなことを言われる。
あんまりの言われようだなぁ。でもそれ、本当だよなぁ。この子は衝動性が強いから、今思ったことを口走っているけど、普段思ってるけど口にしないだけで、そう思っているんだなぁ。あーツラ。
そう思ったら、涙が出てきそうになる。
それ、クラスの子が全員聞いていて、教室に入ったら、しーんとしていて、「先生、そんなことないよ。」とは言わなかったけれど、わらわらわたしの周りに集まってきては、(お弁当の時間だったので)「先生、卵焼きは砂糖と塩、どっちが好き?」とか、「先生、お弁当ちょっと分けてよ。」とか、普段絶対言わないことを言ってきた。
翌日の日記に、「担任が先生でよかった。」と、わたしにしかできなかったことを、いっぱい書いてきてくれた子がいて、
久しぶりに、堰を切ったように泣いた。
「私は教員に向いていない。でも、今ここで働かせてもらっているのだから、わたしにできることを精一杯やろう。」
そう思って、8年間教員をやってきました。
でも「お前なんかお呼びでない」と言われ、
8年間をすべて否定されるようなことを言われ、
そうか、やっぱりそう思われているのか。わたしなんかいないほうがいいのだ。・・・でも私は、やめたところでいったいこれから、どこへ行ったらいいのだろう。
そう思わされている今。
わたしは、「担任が先生でよかった。」と、いってくれる子を支えに、頑張って行っていいものなのだろうか。
分からない。
愛着障害。
この本の巻末に、愛着診断のチェックシートがあった。
わたしは強い回避性愛着障害だった。
思い当たる節はある。幼いころから、父親との関係が良くない。今も良くない。
「この人は、子供なんかほしくなかったのだろう。」
そう思って今を生きている。
納得のいくストーリーを、そこからいくらでも作り出すことができる。
そこになぞらえて言うのであれば、
わたしは、人を育てるという職業を通して、
自分を癒そうとしているのだろう。
絵を描いたり、本を読んだりして、自分の世界を守ろうとしているのは、
どこにも安全な基地が自分の中にないからだろう。
男の人と、うまく関係を作れないのも、そこが原因なのかもしれない。
そこから、自分を自分で育て、癒すきっかけを持てるのであれば、
わたしは、この愛着障害と向き合うべきなのだろう。
わたしを、
私のすべてを否定する存在がいる場所でなお?
来年度が始まる。
がんばれる気力が今、
大幅に損なわれている。
回復できないまま、また私は自分を奮い立たせて1年を始めるのであろうか。
誰か、助けてほしい。
…きっと、わたしに食って掛かってきた子も、
そう思っているのだろう。
誰か、自分を救ってほしいと。
でも今、わたしは沈没寸前の小さな船のようなもので、
たくさんの人が救いを求めてきたら、
自分がつぶれてしまいそうな気がする。
誰か…
半年だけ、頑張ってみよう。
あと半年だけ、生きてみよう。
できるだけ、人の役に立てるようにこの身を捧げてみよう。
もしがんばれたら、もう一ヶ月だけ、生きてみよう。
もし、だめだったら、そこまでだ。
だれにも必要とされなくても、生きられるものかと思っていたけれど、
だれか一人にでも否定されることが、生きる気力をこれほどまでに削がれるものなのかと思う。
半年だけ。がんばって生きてみる。
この痛みを忘れて、にこにこ笑って生きている自分を、心に描きながら、頑張る。
「わたしなんて、生まれてこなければ良かった。」
そう思うことが、どれほどつらいことか、分かって上げられる人間でいられますように。
「あなたがいてくれてよかった。」
一人でも多くそのことを伝えられる人間でいられますように。
- 感想投稿日 : 2015年3月23日
- 読了日 : 2015年3月23日
- 本棚登録日 : 2015年3月23日
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