第2部の各宗教の言い分は、(きれい事を言っているためか)それぞれになるほど、と思わせるところがあり、何が問題の本質なのか分からなくなってしまった。ともあれ、本書を読んでなるほどと思ったことは結構ある。
・新約聖書(マタイによる福音書)は、ローマ人のピラト総督はイエスを助けたかったがユダヤ人が磔にせよと求めたために十字架にかけられた、としており、これがユダヤ人が差別される要因になっているが、実はローマ帝国にキリスト教を布教したい弟子達によって都合良く書かれたものではないか、という著者の推測。
・差別されたユダヤ人には市民権がなく、土地所有ができず役人にもなれないため、当時は卑しい仕事とされていた金融業、芸能、マスコミや、資本も土地も要らない弁護士やジャーナリストなどの職業についた、ということ。
・「イエスの再臨」は、すべてのユダヤ人がイスラエルに帰還を果たしたあと、ユダヤ人がみなクリスチャンに改宗したときに起こることから、西欧諸国はユダヤ人のシオニズムを支援している。
・コーランなどには、アラーがユダヤ人を罰して猿や豚に変えた、とあることと、豚肉を食べない戒律が関係あること。
などなど。
「後書きにかえて」では、「「天国に行くため」表面的のみ他人に優しくするクリスチャン」に違和感を覚える旨の友人の記述があるが、計算ずくであっても他人に優しくできることはいいことだし、キリスト教の効用といえるようにも思う。ただ、親切の押し売りの裏に打算があると気づいてぞっとする気持ちもよく分かるような気がする。
- 感想投稿日 : 2014年2月15日
- 読了日 : 2014年2月15日
- 本棚登録日 : 2014年2月12日
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