「茶の湯によって天下を統べようと」した(秀吉を現世の支配者とすれば心の支配者たらんとした)利休、茶の湯の力によって為政者を傀儡子のように操ろうとした利休、「茶の湯によって武士たちの荒ぶる心を鎮め、この世から戦乱をなく」そうとした利休、堺の商人として「民が生き生きと働き、商人たちが自由に行き来できる世を」希求した利休の姿を(しつこく)描いた長編歴史小説。
「天下人の茶」の姉妹篇。両作品の基本コンセプトは同じで、本作は内容をたっぶり膨らませたものとなっている(そのためか、展開がダレてしまっている印象がある)が、違うところも多かった。
「天下人の茶」では、本能寺の変(及び山崎の合戦)も利休が陰で光秀や秀吉を謀って仕掛けたとしているが、本作では、本能寺の変はあくまで突破事象であり、変後、堺の会合衆が秀吉を信長の後継者に選び支援したとしている(物語もここから始まる)。また、「天下人の茶」では、愛弟子の山上宗二を利休が自ら処刑したのに対し、本作では、宗二は利休不在時に鼻と耳を削がれ磔にされている。まあ、何れも本作の設定の方が現実的だな。
何れは為政者から疎まれ、排除されてしまうことを覚悟しながらも、この世から戦乱をなくすため、命を賭して政治工作を続けた利休の姿、確かに立派だが、もっと人間臭い面が欲しかった。また、利休の政治的な役割をここまで大きくしてしまうと、さすがにリアリティ下がるなあ。茶の湯で天下を統べるのだ,といった大それた政治的野心を前面に出すよりも、図らずも政治に対してかなりの影響力を持ってしまった、といった流れの方がしっくりくるけどなあ。好みの問題かもしれないが…。
- 感想投稿日 : 2021年1月5日
- 読了日 : 2021年1月4日
- 本棚登録日 : 2021年1月2日
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